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□ 2011/02/13 韜光養晦(とうこうようかい)

既に20年以上前の中国の指導者鄧小平氏(1904~1997年)の語録に「韜光養晦・とうこうようかい」と言う有名な言葉がある。「光の当たらない場所で力を蓄え大事に備える」と言うような意味で使われる四文字熟語で、「国力の無い間は、国際社会で目立った行動をせず、じっくりと力を蓄えておこう」と鄧小平氏は説き、「韜光養晦」を外交の基本方針に据え、経済建設に邁進し近代化への道筋を築いた。日本の「能ある鷹は爪を隠す」と似ていなくもないが、ややニュアンスは異なるような気がする。相手が妖怪のような中国だからか…

韜光養晦・とうこうようかい

ところがここ数年はその政策に明らかな変化が現れ出した。軍事力の近代化と共に周辺諸国とは様々な衝突を露骨に繰り返えすしている。所謂「力の外交」「強硬路線」への方向転換だ。日本とも尖閣列島での漁船衝突事件でその横暴さを見せ付けられた。世界第二位の経済力を背景に方向転換をしたのは明らかだ。金を握った途端の180度の転換はどう考えても品が無い。
その一方では「未だ国民一人当たりの所得は低く、中国は発展途上国だ。」と公言して憚らないのは理解し難い。確かにGDPはまだまだ低いが、そろそろ国力に見合った行動をして欲しい時期が来ていると思う。
□ 2011/02/13 土石流発生のメカニズム

重たいものは沈み、軽いものが浮くのは誰もが知る自然の摂理だ。土石流の発生原理も実はここにある。流れ出た溶岩が固まると硬く重たい石になるが、噴石はガスを放出しながら固まるので中が空洞だらけの軽石状(風呂場で使うカルイシがこれだ)のものが多い。新燃岳火口付近に堆積しているものは軽石状の岩石が多い筈だ。つまり石としては甚だ軽いことになる。
火山灰には砂のような粗いものから、非常に細かい粉状のものまで大量に堆積している。そこに雨が降り注ぐと、細かい灰が水を含み急激に重くなり、幕のように全てを覆ってしまう。そのことにより本来は土壌が吸水する筈だった雨水が行き場を失い表面を勢いよく流れる。すると、表面を流れる雨水と水を含んで重くなった火山灰との間に流体摩擦が生じる。その結果、幕のような火山灰の層を剥がしながら流量を増加させる。この状態が続けば続くほど流量も速度も増加し、大きな流れとなり噴石や岩をも押し流し山を下る。つまり土石流の発生だ。
「水に物体を沈めると、その物体が排除した水の体積だけ物体は軽くなる。」と言うアルキメデスの原理は物理の初歩の初歩だ。水を含み重くなった火山灰や噴石は、土壌を削りながら流れ、いとも簡単に大きな岩石すら押し流してしまう。この時発生するエネルギーは膨大で、これを止める術を人類は未だ持ち合わせてはいない。大きな被害が出ないことを祈らずにはいられない。
□ 2001/02/12 ビタミンCの風邪予防効果とサプリメント

ビタミンには脂溶性と水溶性の2種類があり、脂溶性ビタミンでは、A(レチノール)、D(カルシフェロール)、E(トコフェロール)、K(フィロキノン)の4種類、水溶性ビタミンではB1(サイアミン)、B2(リボフラビン)、B6(ビリドキシン)、B12(コバラミン)、B3(ナイアシン)、M(葉酸)、B5(パントテン酸)、H(ビオチン)、C(アスコルビン酸)の9種類がある。[注」( )内は化学名
脂溶性ビタミンは油との相性が良く、一緒に調理すると摂取効率が高まる。体内に取り込まれると48時間程度は肝臓や脂肪内に蓄えられるが、摂り過ぎると関係無い他の臓器へと流れ出す。つまり「過剰症」を引き起こす危険がもある。但しその中でもEだけは問題は起きないらしい。熱による損失も比較的少ないのも特徴の一つだ。
一方、水溶性ビタミンは水に溶け易い性質があり、 多めに摂取しても必要量以外は尿で排出されてしまうので毎日摂る必要がある。熱に弱いのもこのビタミンの特徴だ。野菜や果物に特に多く含まれることで知られ、殆どの動物が体内でこのビタミンを合成できるが、人間やサルのような霊長類には全くその能力が備わっていない。従って必要とする全てを食事等に頼らざるを得ないことになる。

グレープフルーツ

ビタミンCはコラーゲンの合成にも深く関与し、不足するとコラーゲンの正常な合成を妨げることが確認されているので、肌の老化防止には必須のビタミンだと言える。その強い還元能力は、スーパーオキシドヒドロキシラジカル過酸化水素等の活性酸素に高い防御能力を発揮し、これを除去し脂質の酸化を防止する効果が知られている。
ビタミンEにもビタミンC同様に脂質中の活性酸素を除去する働きがあるが、その際に自らがビタミンEラジカルへと変化してしまう。ビタミンCにはこれを再度ビタミンEとして復活させる救世主のような再生機能もある。

ビタミンC

さて、このビタミンCの風邪予防への効果だが、果たしてあるのか無いのか、と言えば「ある!」が正しいだろう。何故なら、ビタミンCには高い還元能力があり、効果的に活性酸素除去できる。つまりこれは免疫力の向上に寄与するのである。免疫力=防御力なのだから当然風邪に対する予防効果は期待できる。但し、人やそれを取り囲む環境によって必要な量は各々異なる。野菜嫌いな者や喫煙者、飲酒癖のある者や常に高いストレスを感じている者等は通常より多く摂る必要がある。
一日に必要とされる目安は、かつての厚生省では一日50mgだったが、厚生労働省は1999年に一日100mgにこれを改正した。かつての50mgと言う数字の根拠は、「壊血病」予防に必要とされる量の10倍だからだと云うことだ。100年前ならいざ知らず現代の日本では起こり得ない稀な病気が根拠とは、全く恐れ入谷の鬼子母神だ。さてそれでは一日の適量はと言うと、前述の通り様々なので断言はできないが、体内に残り得る最大量が1.5gなので、それを目安にすれば良い。因みに1.5gは厚生労働省の指標の15場にあたる。つまり、1.5gは食品だとレモンなら凡そ30個が必要な量だ。1個50円のレモンでも30個では1500円もかかる。
そこで登場するのがサプリメントだ。サプリメントはその殆どが合成されたものなので効果が期待できないとする説もあるが全くのガセだ。脂溶性ビタミンならともかく、水溶性ビタミンは構造が単純で自然のものと全く同じだと言っても過言ではないようだ。但し、糖分が無いと吸収されないので、効果的な吸収を望むのであればブドウ糖を同時に摂ることは必須だ。尚。現在ビタミンCは病院での扱いは無く、薬局で購入するしかない。
 
□ 2011/02/11 建国記念日

今日2月11日は「建国記念日」だ。以前は「紀元節」と呼ばれていた祝日で、「日本書紀」での神武天皇即位を建国と定め明治6年(1873年)に制定された国民の祝日だ。
どこの国にも建国の歴史とその「記念日」がある。アメリカ合衆国は独立戦争を経て建国に至たり、中国は大東亜戦争後の内戦を経て建国に至っている。どちらも他の者の支配を排除し傷だらけで建国した歴史がある。どちらも「独立」の色合いが濃い建国だ。

神武天皇

一方日本はと言うと、他の国や勢力から勝ち取ったものではないので、「独立記念日」ではなく「建国記念日」だ。天皇制が長く続く日本ならではだが、外国人には少々解り難いかも知れない。
明治維新を建国の日とすれば自然だったのかも知れないが、その前から朝廷は途切れずに脈々と続いていたので難しかったのだろう。それに当時の日本には独立とか建国とかの概念は無かったのだと思える。
では天皇陛下が「人間宣言」をした世界大戦の終了時が最も適した時期だったのではないかとも思うが、今となってはそれも叶わない。つまり本当の意味で日本には独立や建国の概念はないのかも知れない。
□ 2011/02/10 日章旗(にっしょうき)

日本の国旗は「日章旗」と呼ばれ、縦横の比率が3:2、縦の3/5の真丸で日章を中心に描き、上下、左右が対称になる清楚にして簡潔、世界に誇れるデザイン性の高い美しい旗だ。
第二次世界大戦後にGHQにより制定された憲法では、国歌や国旗に関する規定が定められていなかったことに加え、日教組等の猛烈な反発もあり、教育現場から意図的に国歌や国旗が排除されてきた経緯がある。故に就学した年齢によっては国歌すら歌えない情けない者もいる。
日章旗が国旗として初めて認められたのは、何と1999年の「国旗及び国歌に関する法律」まで待たねばならなかった。

日本国 国旗

自衛隊観閲式には何回か足を運んだことがある。国旗掲揚時はアナウンスがあるので起立はするが、降ろす時には途中で背を向けて立ち去る輩が多いので驚く。来場者には自衛隊員の家族や、その関係者が多い筈なのに理解に苦しむ。教育はここまで荒廃してしまっていたのか…
下は平成22年度観閲式での車両行進
日本では古来より昇る太陽を信仰の対象として来た歴史がある。暗いうちに出立し昇る初日の出を拝む。世界的にも珍しい風習だそうだ。赤で太陽を表現することもまた珍しいようで、金や黄で描かれることが世界的には普通だ。日本でも高松塚やキトラの古墳では金が用いられている。赤で太陽が描かれるようになったのは恐らく仏教伝来以降だ。

荒海を行く咸臨丸
咸臨丸
1860年 桑港碇泊中の咸臨丸

江戸時代後期には薩摩藩の船印として用いられ、開国後は船舶旗の制定を迫られた際、幕府が薩摩藩の進言で日章旗を用いている。また、幕府の船として初めて太平洋を往復したことで知られる「咸臨丸」にも日章旗が翻っていた。
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