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□ 2012/01/12 ゴミ収集車の火災

通勤途中で白煙を上げるゴミ収集車に出くわした。後部扉を閉め、近所で借りた家庭用ゴム・ホースで水を掛けていたが、全く埒が明かないようだった。扉を開けて放水すれば良いようなものだが、それでは一気に燃え上がる危険がある。所謂「バック・ドラフト」と呼ばれる状態になるからだ。


ゴミ収集車の火災事故は結構多いらしく、調べたデータはやや古い(2007年度)が、都内で発生した収集車の火災事故は173件もある。その内、カセットボンベやスプレー缶等によると思われるものは何と119件にも上ると云う。ゴミを圧縮する際にボンベが損傷し、残ったガスが漏れ出し、金属同士の摩擦で発生する火花で引火するらしい。チョッとした身体の動きで、ポケットの中のライターが意図せずに着火することもあり、ゴミに混ざっていたライターが原因になっているのかも知れない。いずれにしても引火性ガスは火災の危険が伴うので注意した方が良いだろう。
□ 2012/01/10 サツマイモと忠臣蔵

「忠臣蔵」は、江戸城内「松の廊下」で播州赤穂の藩主「浅野内匠頭長矩」が突然「吉良上野介義央」に刃傷沙汰に及んだことが発端となった。
刃傷沙汰に至ったのは、吉良の執拗な虐めに長矩がキレたからだとされるが、長矩本人が何も語らなかったので詳しいことは判っていない。


諍いの原因としては幾つか上げられているが、サツマイモ(甘藷)が関係しているのではないかと云う意外な説がある。その説とは、赤穂も吉良(三河)も共に領地は砂地が多く、砂地に適したサツマイモの栽培方法が喉から手が出るほど欲しかった。当時サツマイモの研究をしていた青木昆陽に栽培方法を伝授して貰いたかったが、昆陽は赤穂にのみ栽培法を伝え、吉良には全く教えなかったと云う。
それは山鹿素行と昆陽との関係にあると云われている。山鹿素行は江戸時代前期の儒学者にして軍学者で、討ち入りの際に打ち鳴らされた「山鹿流陣太鼓」の生みの親とされる人物だ。しかそれは全くの作り話し。実際には四十七士は音も立てずに静かに忍び寄り、一気に襲い掛かった。また陣太鼓に描かれた模様もその時代にはまだ使われていなかった。結構卑怯な手段だったのだ。
山鹿素行は「聖教要録」で徳川幕府を批判し、江戸から三十里以遠に所払いにあっている。その山鹿素行を引き受けたのが浅野長直で、それ故青木昆陽は赤穂にのみ栽培方法を伝えたという説だ。


青木昆陽(あおき こんよう・1698~1769年)は、日本橋小田原町の魚屋に生まれ、京都の伊藤東涯に学んだ江戸時代中期の儒学者で蘭学者である。
徳川吉宗は、当時既に救荒作物として知られていた甘藷の栽培を昆陽に命じている。昆陽は甘藷の栽培を現在の小石川と、千葉の幕張、九十九里の三箇所で試作し、これを成功させたとされる。それにより関東で甘藷の栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったので、「甘藷先生」と称され、千葉の幕張には昆陽神社まで建てられ、「芋神様」して祀られている。


然しながら、昆陽が現地に赴いたとの記録は一切見付からず、養生所(小石川)へ7回ほど出向いたのみだとされる。実際に栽培を成功に導いたのは、平野良右衛門という長崎から来た人物だと云われる。教授の論文が、実は助教授や学生のものだったりするのと全く同じ理屈がそこには働いている。いずれにしても昆陽の試作以前にも多くの記録があり、青木昆陽の栽培が江戸で最初ではないことだけは確かなようだ。但し、幕府による正式な救荒作物栽培の研究としての歴史的意味は大きい。
□ 2011/12/28 武器輸出三原則の緩和

日本政府は27日、「武器輸出三原則」の緩和を決定したと発表した。今までは例外処置として個別に審議してきたものを、①平和貢献・国際協力、②安全保障で協力関係がある国との共同開発・生産、等の目的に限り、これを容認する方向に転換した。しかし、これは緩和であって放棄ではない。物が物だけにこの境の線引きはかなりの困難が予想される。だが一応は友好国への武器輸出(限定的では有るが)の道が開かれたことになる。
日本製の武器は国内生産、国内納入のみを前提としてきた。故に、製造数も甚だ少なくコスト高になる。今までは通常の機械類(トラック等を含む)であっても、軍用に使用できるもの、若しくは改造を施すことにより転換し得るものは除外してきた。しかし、以前から砂漠のゲリラは、市販のトヨタ(小型トラック)の荷台に機関砲を搭載して使っている。特別な改造をすることなく故障せず、価格も手頃だからだ。すべからず武器は使う側の意図で簡単にその姿を変えることを知るべきだ。農業支援の農薬でも少し手を加えれば毒ガスに変身する。


何を軍用とし、何を民生用とするかの判断は難しい。小さなセスナ機でも、第三世界では攻撃機や偵察機として充分に役立つ。ひょっとしたら爆撃機の役目も果たせるかも知れない。実際にクレーンを搭載できるようなタイプの大型トラックは、ミサイルの発射台として流用できるとのことで輸出先が限られる。民生用だといっても個々の事案ごとに難しい対応を迫られる。いっそのこと最新兵器を除く全ての兵器を解禁してしまえば良い。大国は皆この手の商いで大きな利益を上げている。政府は自衛隊の国連平和維持活動等で使用した装備や重機(装甲車も含まれるのか?)を現地の要請により無償で譲渡したり、海賊対策用の巡視艇を輸出したりすることを想定していると思われる。
□ 2011/12/23 湯たんぽの正しい湯の捨て方

湯たんぽの湯には正しい捨て方がある。と言っても昔から湯たんぽの湯は捨てずに何らかの用途に使う。飲み物に流用するご仁は少ないだろうか、洗面に使うことは多い筈だ。その場合の捨て方(?)が気になった。恐らく多くの者は、下図の右側のように湯の注ぎ口を下側にする筈だ。長年の習慣でそうなる。水は高いところから低い所へ流れるからだ。しかしこれは大きな間違いだ。下の図を見れば何故間違いなのか一目瞭然になる。


注ぎ口から中の湯を出す場合(基本的にはそれ以外の場所からは出せない構造だが…)、注ぎ口を下にすると、湯面は湯たんぽの上部になる。すると中の湯が注ぎ口から一気に流れ出ようとする、つまり注ぎ口に全ての水圧がかかる。そして流れ出た湯の分だけ上部の空気層に負圧が生じ、外気が吸い込まれ、ボコボコと音をたて水流が不安定となる。激しく吹き出すことさえあり危険な状態だ。
一方、注ぎ口を上にした場合、水面が注ぎ口と同じ高さになるので、注ぎ口に水圧がかかることはない。中の湯は傾ける角度に合わせて徐々に流れ出す。湯が一気に噴出せず安全に処理できる。
何もこれは湯たんぽに限ったことではない。石油缶とも呼ばれる一斗缶(死語?)の場合でも全く同じで、注ぎ口を上にすると効率良く安定した流れになる。このような方法だと細い口のビン等へも容易に移し替えることできる。
□ 2011/012/20 泣き女と泣き男の国?それとも集団ヒステリーなのか

北朝鮮の金正日総書記が死んだ。そして何とも奇異で不思議な光景を世界は目にすることになった。本来、悲しみは徐々に湧き上がってくるものだと思っていたが、彼の国ではどうやら事情が異なるらしい…
ある劇団の団長はカメラを向けた途端、一気に感情を噴出し、そして泣き叫んだ。まるでスタートの合図を待つ演技者のようにしか見えない。軍人もピョンヤン(平壌)市民もカメラの前では例外なく泣き崩れる。そして誰もが事前に用意していたかのように金正日総書記を褒め称える言葉を連発する。なんとも饒舌なことか。悲しみをこれほど多くの言葉で語れる民族は恐らく朝鮮民族だけだろう。

故金日成氏に抱かれる幼い時の故金正日氏

論語に、「顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰く、子慟せり。日わく、慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん。( 顔淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲。)」とある。
意味は「顔淵が死に、弔問に赴いた孔子が慟哭(身体を震わせ声をあげて泣くこと)した。それを観た従者(弟子達)は先生が慟哭していると囁きあった。それを聴いた孔子は「如何にも私は慟哭した。顔淵の為に慟哭せずに誰の為に慟哭しろと言うのか。」と語った。孔子の時代は声をあげて泣くことが、弔問に訪れる者の礼儀だとされていたが、すがり付いて泣き崩れる「慟」は身内にのみ許されていた行為だったようだ。その時代の習慣を知ることで論語の意味も見えてくる。

 論語正義

魯の国生まれ(紀元前521~ 490年)で、名(諱)を回、字(あざな)は子淵、故に顔淵(がんえん)と呼ばれた孔子の弟子の中でも特に秀でた哲人とされる。
学而第一
為政第二
八佾第三
里仁第四
公冶長第五
雍也第六
述而第七
泰伯第八
子罕第九
郷党第十
先進第十一
顔淵第十二
子路第十三
憲問第十四
衛霊公第十五
季氏第十六
陽貨第十七
微子第十八
子張第十九
堯曰第二十

今、北朝鮮では国を挙げて泣き崩れる「慟哭」が求められている。一人一人の忠誠心が問われるのだ。ピョンヤンでは一般市民と言えども金一族の庇護を受けた「特権階級」の者達だ。この革命の首都に居住する者達は我々の考えるところの「一般市民」では決してない。然しながら、この先も朝鮮メディアが真の意味での「一般国民」の感情を伝えることは無いだろう。そもそも彼の国に我々の言うところの「国民」は存在しないのだから。
 

帰宅途中で見つけた美味しい韓国家庭料理のお店「ソウル亭」です。綺麗なママが♪♪♪
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