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Creation Date: 10-JUL-2010 
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□ 2012/02/12 また好きな歌手がこの世を去った

好きだったアメリカの女性歌手ホイットニー・ヒューストンが48歳の若さで 死去した。92年にケビン・コスナーと共演した主演映画「ボディー・ガード」は何度も観た。挿入歌は今でもよく聴いている。あの素晴らしい歌声がもう聴かれないかと思うと寂しい。恐らくまた今度も薬物が関与しているのだろう。実に残念なことだ。
下はユーチューブにアップされたホイットニー・ヒューストンの最期のステージと思われるものだ。

□ 2012/02/11 今日は建国記念の日

日本書紀によると紀元前660年1月1日が神武天皇の即位した日だとされる。この日を新暦に換算すると2月11日がその日になる。明治政府はこの日を紀元節(明治5年)と定め昭和23年まで続き、一旦廃止されたが、昭和41年に新たに「建国記念の日」として国民の祝日として再登場した。


何故「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのかと言うと、他の国は革命や戦乱を経て建国するので「革命記念日」とか「独立記念日」と呼ばれるのが普通なのだ。恐らく「建国記念の日」があるのは世界でも日本だけだ。また、日本は「天皇制」が途切れることなく続いていることにより、「日本は既に建国している」との認識から、建国した日そのものとは関係なく、建国を偲び、国を愛する心を養う「記念の日」にしたそうだ。
□ 2012/02/09 寒い日が続く

東京でも毎日寒い日が続いている。少しでも日差しがあれば良いが、曇りで風でもあれば公園から全く子供の声が消えてしまう。寂しい限りだ。
今時の子供達は昔と違って家の中に遊び道具を持っている。寒い日にわざわざ外で遊ぶ必要もないのだろう。冬の定番「おしくらまんじゅう」は既に過去のもののようだ。
例年は蕾が大きくなる河津桜も、何とか蕾らしきものが膨らみかけた程度だ。開花はまだまだ先のようだ。



□ 2012/02/06 冷温停止の原発2号機70℃を超える

冷却水配管交換が原因とされる福島原発2号機の圧力容器底部の温度が急上昇した。東京電力は6日午前7時現在で73.3℃に達したことを明らかにした。東電の保安規定では80℃地元への通報を行う基準としているので、73.3℃は楽観視できる数値ではない。
昨年12月に政府は根拠の無い冷温停止状態を宣言したが案の定だ。
東電は再臨界の際に生じるキセノンが検出されなかったことを理由に再臨界は無いと判断したようだが、それでは何故この段階でホウ酸を注入するのかの疑問が沸く。東電と政府の発表は余りにも嘘が多い。
藤村修官房長官は記者会見で「温度上昇は1ヶ所で他位は安定している」とし、政府の宣言した「冷温停止状態」に影響はないとの判断を示した。

【原発】2号機圧力容器で原因不明の温度上昇続く(12/02/06)

□ 2012/02/05 昔1ドルは360円だった

1ドルが360円だった時代があったことなど今は知らぬ若者が殆どだ。それ故、円は360°なので1ドルを360円にしたと言う話しは知らない。尤もそれは全くの冗談だが…

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1949~71年までは360円の固定相場制
1972年 308円 (1971年12月より切り上げ)
1973年 301.15 270.00 265.83 265.50 264.95 265.30 263.45 265.30 265.70 266.68 279.00 280.00
1974年 299.00 287.60 276.00 279.75 281.90 284.10 297.80 302.70 298.50 299.85 300.10 300.95
1975年 297.85 286.60 293.80 293.30 291.35 296.35 297.35 297.90 302.70 301.80 303.00 305.15
1976年 303.70 302.25 299.70 299.40 299.95 297.40 293.40 288.76 287.30 293.70 296.45 293.00
1977年 288.25 283.25 277.30 277.50 277.30 266.50 266.30 267.43 264.50 250.65 244.20 240.00
1978年 241.74 238.83 223.40 223.90 223.15 204.50 190.80 190.00 189.15 176.05 197.80 195.10
1979年 201.40 202.35 209.30 219.15 219.70 217.00 216.90 220.05 223.45 237.80 249.50 239.90
1980年 238.80 249.80 249.70 238.30 224.40 218.15 226.85 219.20 212.00 211.75 216.75 203.60
1981年 205.20 208.85 211.40 215.00 223.50 225.75 239.75 228.75 231.55 233.35 214.15 220.25
1982年 228.45 235.20 248.30 236.30 243.70 255.55 256.65 259.60 269.40 277.40 253.45 235.30
1983年 238.40 235.55 239.30 237.70 238.60 239.80 241.50 246.75 236.10 233.65 234.20 232.00
1984年 234.74 233.28 224.75 226.30 231.63 237.45 245.45 241.70 245.40 245.30 246.50 251.58
1985年 254.78 259.00 250.70 251.40 251.78 248.95 236.65 237.10 216.00 211.80 202.05 200.60
1986年 192.65 180.45 179.65 168.10 172.05 163.95 154.15 156.05 153.63 161.45 162.20 160.10
1987年 152.30 153.15 145.65 139.65 144.15 146.75 149.25 142.35 146.35 138.55 132.45 122.00
1988年 127.18 128.12 124.50 124.82 124.80 132.20 132.53 134.97 134.30 125.00 121.85 125.90
1989年 129.13 127.15 132.55 132.49 142.70 143.95 138.40 144.28 139.35 142.15 142.90 143.40
1990年 144.40 148.52 157.65 159.08 151.75 152.85 147.50 144.50 137.95 129.35 132.75 135.40
1991年 131.40 131.95 140.55 137.42 137.97 138.15 137.83 136.88 132.95 131.00 130.07 125.25
1992年 125.78 129.33 133.05 133.38 128.33 125.55 127.30 123.42 119.25 123.35 124.75 124.65
1993年 124.30 117.85 115.35 111.10 107.45 106.51 105.60 104.18 105.10 108.23 108.82 111.89
1994年 109.55 104.30 102.80 102.38 104.38 98.95 99.93 99.57 98.59 97.37 98.98 99.83
1995年 98.58 96.93 88.38 83.77 83.19 84.77 88.17 97.46 98.18 101.90 101.66 102.91
1996年 106.92 104.58 106.49 104.29 108.37 109.88 107.13 108.40 111.45 113.27 113.44 115.98
1997年 122.13 120.88 123.97 126.92 116.43 114.30 117.74 119.39 121.44 120.29 127.66 129.92
1998年 127.34 126.72 133.39 131.95 138.72 139.95 143.79 141.52 135.72 116.09 123.83 115.20
1999年 115.98 120.32 119.99 119.59 121.37 120.87 115.27 110.19 105.66 104.89 102.42 102.08
2000年 106.90 110.27 105.29 106.44 107.30 105.40 109.52 106.43 107.75 108.81 111.07 114.90
2001年 116.38 116.44 125.27 124.06 119.06 124.27 124.79 118.92 119.29 121.84 123.98 131.47
2002年 132.94 133.89 132.71 127.97 123.96 119.22 119.82 117.97 121.79 122.48 122.44 119.37
2003年 119.21 117.75 119.02 119.46 118.63 119.82 120.11 117.13 110.48 108.99 109.34 106.97
2004年 105.88 109.08 103.95 110.44 109.56 108.69 111.67 109.86 110.92 105.87 103.17 103.78
2005年 103.58 104.58 106.97 105.87 108.17 110.37 112.18 111.42 113.28 115.67 119.46 117.48
2006年 117.18 116.35 117.47 114.32 111.85 114.66 114.47 117.23 118.05 117.74 116.12 118.92
2007年 121.34 118.59 118.05 119.41 121.63 123.48 118.99 116.24 115.27 114.78 110.29 113.12
2008年 106.63 104.34 99.37 104.05 105.46 105.33 108.13 108.80 104.76 97.01 95.31 90.28
2009年 89.51 97.87 98.31 97.67 96.45 95.56 95.61 92.78 89.76 91.11 86.15 92.13
2010年 90.19 89.34 93.27 94.18 91.49 88.66 86.37 84.24 83.32 80.68 84.03 81.51
2011年 82.04 81.68 82.84 81.60 81.60 80.42 77.59 76.58 76.70

360円となった根拠は、日米の卸売物価が基準になっている。昭和9~11年頃から昭和24年までの間に、日本の卸売物価は209倍に上昇した。一方、アメリカのそれは2倍に止まった。つまり、日米の卸売物価の差はこの時104.5倍もあったことになる。これを昭和10年頃の対米レート3.45円で換算すると言う無茶な計算をして「360円」を弾き出した。だが、対米円レートは戦前既に約40%の大幅切下げを行っており、それを基に計算した「360円」は滅茶苦茶な円安設定なのだ。このお陰でその後日本は急速に経済力を回復してゆく。今「円」の対米レートは80円にも満たない。この状態が何時まで続くのやら…

GHQ本部が置かれた第一生命ビル

日本の通貨は明治4年5月10日の「新貨条例」(1871年6月27日)により、それまで江戸時代の通貨単位「両」を「圓」(円の旧字)に改めた。また「銀本位制の採用」と「貨幣単位の十進法への変更」が行われた。通貨単位としての「円」は条例廃止後もそのまま明治30年の「貨幣法」に引き継がれ、更に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に受け継がれ現在に到っている。
それではどのような経緯で「円」が単位として採用されたのか。この理由はなかなか面白い。硬貨が円(まる)いので単位に「円」を採用したとよく云われるが、実は「円」と硬貨の形状は全く関係が無かった。


単位名「円」は、どうやら当時のイギリス植民地「香港」にあったようだ。日本が初めて硬貨を発行する際、持ち込まれた貨幣製造機に香港造幣局の「香港壱圓」の刻印が残っており、それをそのまま日本の通貨単位として流用してしまったようだ。その証拠として日本の円が「香港壱圓」と同品位・同量であることからも流用が窺える。
故に、日本の通貨単位である「円」は中国と共通なのだ。中国では現在「元」を使ってはいるが、これは「圓」の画数が多いので便宜的に同じ発音の「元」にしただけで基本は「円」だ。韓国の「ウォン」も「円」の朝鮮語読みだ。通貨記号"¥"も日本と中国では全く同じだ。だが中国では日本円のことを「日幣○○圓」と国名を冠して表す。
□ 2012/02/03 節分の鬼で想う

今日は24節気中の節分の日にあたる。本来「節分」は、立春、立夏、立秋、立冬の前日で1年に4回あった。今は年の初めにあたる立春の前日、つまり大晦日にあたる日だけの行事になっている。平安時代には宮中で「追儺・ついな」の行事が行われ陰陽師が厄や災難を祓い清めた。これが室町時代になると豆を撒いて邪気を払う行事へ変化していったようだ。因みに「豆撒き」は中国から伝わった風習のようだが、日本は日本なりに得意のゴロ合わせでこれに新しい意味を与えた。つまり「豆」は「魔滅・まめ」に通じ、無病息災を祈る意味に変容していったのだ。
また「豆撒き」の豆は生ではなく必ず炒ったものが使われる。生だと地面に落ちたて芽が出て縁起が悪いからと云われるが、「芽が出る」はある意味目出度いとも思うのだが…
我が家では特に「豆撒き」らしきことはしないが、食べる目的で「炒り豆」は必ず買う。今日も行きつけのコンビニで「鬼打ち豆」なるものを買った。


中国では「鬼」は「目に見えない」もので死霊や死者を指す。これが日本では頭に角をはやした悪の化身のような存在に変わった。恐ろしい変わりようだ。
時代によって言葉はドンドン変化する。同じ日本人であっても女子高生の使う言葉は意味不明で難解だ。しかし意味を尋ねると「なるほど!」と納得できるものも多い。
若者の間で使われる「鬼デン」は物凄い勢いでガンガン相手に電話することで、「鬼モリ」は大盛の更にその上を行く盛り方を指すらしい。全く日本伝統の「鬼」はそこには存在しない。
年明けのコンビニでアルバイトの娘に「アケオメ」と言われ一瞬何かと思った。しかし時期が時期なのでこれは「アケマシテオメデトウ」の略だと解ったが、チョズクに到っては全く解らん。調子に乗ることやその様を表すらしいが、更にこれを略して「ずく」というのもあり、強調する場合は「鬼チョズク」となるそうだ。初めて聴いたら全く「イミプー・意味が判らないこと」だ。若者間のコミュニケーションツールなのだろうが、それがいつかは社会に定着する時代が来るのかも知れない。そうやって言葉は変化して来たのだから…


日本には「鬼食い」「鬼飲み」と言う言葉がある。「鬼食い」や「鬼飲み」は貴人に出す飲食物の毒味役のことだ。「鬼食い」は食べ物の毒見係りで「鬼飲み」は飲み物の係りだ。そしてこれらの係りを「鬼役」と呼ぶ。
言葉の由来は、宮中で元旦に天皇が飲む屠蘇を、薬子(くすりこ)と称する少女が鬼の間から出て試飲したところからだと云われている。決してバカ食い、バカ飲みを指すのではない。
日本には鬼の付く字が結構ある。天邪鬼・霊鬼・邪鬼・鬼女・悪鬼・鬼婆・髪鬼・鬼火・鬼界・鬼気・鬼哭・鬼才・鬼子・鬼宿・鬼神・鬼籍・鬼胎・鬼畜・鬼誅・鬼道・鬼方・鬼謀・鬼魅・鬼面・鬼門・鬼録 等々と実に豊富だ。日頃使われるので聴いたことはある筈だ。そういえば「鬼嫁」もあった。
□ 2012/01/30 椿(ツバキ)

「花椿」は春の季語だが、冬は冬で「寒椿」や「冬椿」も季語としてある。葉樹林の代表的なものとして知られ、冬から春にかけて花をつける。似たものに「サザンカ」があるが、こちらは一枚一枚花弁を散らすのに対し、椿は花ごとポトリと落ちる。武士はその様が首が落ちのに似ていると嫌ったと云うが、これはどうやら全くの嘘らしい。武士はむしろその様を潔しとした。巷ではこのポロリと落ちる椿の花を嫌う者も多い。まず絶対に病人の見舞いには用いない。
「武家深秘録」(1613年)に「将軍秀忠花癖あり名花を諸国に徴し、これを後吹上花壇に栽えて愛玩す。此頃より山茶流行し数多の珍種を出す」とある。つまり江戸時代には将軍が愛した花なのだ。よって武士や庶民もこの花を愛し、品種改良が進み多くの園芸品種が作り出される結果となった。因みにここで言う「山茶」は「椿」を指す。「椿」は日本で付けた名で、中国では「ツバキ」は「山茶花」と書く。西洋では椿をカメリアと呼ぶ。これは椿をヨーロッパへ紹介したマニラで活躍した植物学者でもある宣教師ゲオルク・ヨーゼフ・カメル(Georg Joseph Kamel・17世紀)の名に由来する。


「武士と椿」は「武士と桜」の関係に似ていなくもない。武士が椿を嫌ったとされるのは、江戸後期から明治に入ってから流言による影響のようだ。武士に桜の花のような散り際の美学を求めたのは、海外へ侵出を試みる際に潔く散ってくれる道具としての兵士を必要とした明治政府の企みだった。「苦難や風雪を耐え忍び主君に仕える」、どのような時も青々としている姿は正に武士に相応しい。パット咲いてパット散ってしまっては主君を護ることなど叶わない。


ツバキ油は、ツバキ科ツバキ属のヤブツバキの種子から採れる油脂で、サザンカ油同様に日本の特産品。主に伊豆諸島から九州各県に自生する。久賀島(ひさかじま)には、椿の原生林があり、これは日本一の規模だ。古くから食用、整髪、薬用にと珍重され、宝亀8年(777年)には不老不死の仙薬を求めた渤海国の使者にこの油を贈ったとの記録がある。平安時代の初期には食用、灯、化粧用にと既に利用が始まっている。オレイン酸を豊富に含む為に酸化し難い特性があり、その含有量はオリーブオイルを凌ぐが、高価である。 《管理人運営の別サイト”トッポギレシピと趣味のウキ・操体法”のコンテンツ”食の雑学 補足08 世界の食用油”から引用》



伊豆大島では1月29日~3月19日までがツバキ(椿)祭りの期間だ。
□ 2012/01/25 ウイルス遺伝子立体構造解明成功

つい先日、致死率が60%にも達する鳥インフルエンザ・ウイルスの研究成果の発表(鳥から人へ感染する変異体)が一時棚上げになった。生物兵器に利用される恐れがある、との理由でアメリカから横槍が入り60日間一旦発表を控え対策を練るようだ。研究施設がらこのウイルスが漏れ出すようなことでもあれば、全世界の半分が死ぬと云われる恐ろしいウイルスだ。
今朝(25日)は、東京大医科学研究所や兵庫大などの研究チームが、インフルエンザウイルス(A型H1N1亜型)粒子内の立体構造を視覚化することに成功したとのニュースが飛び込んできた。
24日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表されたもので、このことによりウイルスが増殖できないようにする新薬の開発が可能になる。


電子顕微鏡を使い、あらゆる方角から撮影したウイルスを立体画像として再構築したもので、CG作成では良く使われる手法だが、ウイルス程小さいものでも可能だとは思わなかった。技術の進歩には全く驚かされる。


画像によると1本の遺伝子分節は棒状の蛋白質にリボ核酸が巻き付き、各分節同士は数本の細い紐状もので繋がった構造であることが判明したと云う。紐の太さは凡そ2nm(0.000 000 002m・10億分の2m)で、この分節同士を束ねる紐を作らせないようにすることで、ウイルスの増殖を拒むことが可能になるらしい。画期的な新薬の開発に期待がかかる。
□ 2012/01/24 原子力災害対策本部の議事録

枝野幸男経済産業相は24日、福島第一原発事故後の原子力災害対策本部が議事内容を残しておらず、気付いた後も放置していたことを明らかにした。混乱で手が回らなかったことを理由としてあげたが、故意に残さなかったことも充分に考えられる。事故直後に話し合われた内容は全て闇の中に消えた。
原子力安全保安院は23日の会見で「まだ議事録は作成していないが、緊急事態では事後的に作成が認められており、会議の内容や決定は記者会見を通じて説明している」と弁明した。今までにも隠してきたことは数多いことを国民は既に知っている。今更本当のことが語られるとは誰も信じる者はいない。


議事録は来月公開予定だそうだが、幾ら緊急対応だったとは言え、録音(最近は録音できる機器はどこにでもある)すらもされなかったとは全く信じ難い。公文書管理法では政府の政策が決定された経緯を、後々検証できるように議事録作成を省庁職員に義務付けている。政府の公文書管理を担当する岡田克也副総理は会見で「緊急災害対策本部でも議事録が作成されなかった疑いが濃厚だ」と語った。 だが担当者の懲戒は一切無いと云う。
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