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□ 2012/06/24 サクランボ

サクランボは今が旬,。江戸時代に中国(清)から伝えられたと云われ、別名「ゆすら」とも言う。馴染みのある「サクランボ」の呼びかたは、「桜の坊」から「の」が無くなり、変化したものだそうだ。

Myles Birket Foster  1825~ 1899

サクランボは「桜桃」と書き、中国原産の桜の一種だ。漢時代の礼記「月令」の仲夏に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述があり、当時は「含桃」と呼ばれていたようだ。下は「礼記」全49篇の配列で「月令」はその6番目にあたり、年間行事や天文、暦に関して述べたものだ。
1:曲礼・上 2:曲礼・下 3:檀弓・上 4:檀弓・下 5:王制 6:月令 7:曾子問 8:文王世子 9:礼運 10:礼器 11:郊特牲 12:内則 13:玉藻 14:明堂位 15:喪服小記 16:大伝 17:少儀 18:学記 19:楽記 20:雑記・上 21:雑記・下 22:喪大記 23:祭法 24:祭義 25:祭統 26:経解 27:哀公問 28:仲尼燕居 29:孔子間居 30:坊記 31:中庸 32:表記 33:緇衣 34:奔喪 35:問喪 36:服問 37:間伝 38:三年問 39:深衣 40:投壺 41:儒行 42:大学 43:冠義 44:?義 45:郷飲酒義 46:射義 47:燕義 48:聘義 49:喪服四制

「さじき」 鏑木清方 1945年頃 後ろの篭にサクランボが入っている

去る6月19日は太宰治の命日だった。菩提寺である三鷹の禅林寺では、毎年この日に太宰忌(桜桃忌)が営まれ多くの太宰ファンが訪れる。桜桃忌の名は太宰の作品「桜桃」からとったものだ。しかし立派な生家(下)だ。
□ 2012/06/21 夏の語源・なずむ 

台風一過、昨日の朝は夏を予感させる空だったが、今日には憂鬱な梅雨時の空に戻ってしまった。これからが本格的な梅雨なのかも知れない。


しかし、世の呑み助には冷たいビールが嬉しい季節がやってきたとも言える。一昔前まではビールと言えば「キリンビール」だった。今では少々(?)時代遅れなのかもしれないが…
キリンビールのトレードマーク(下の画像 )となっている麒麟(きりん)は、胴体は鹿、足は馬、尻尾は牛、顔は狼で、政治が良く行われていると出現するとされる中国の想像上の生き物だ。面白いことに動物園の「キリン」はこの中国の想像上の動物の名「麒麟」を冠したものだ。恐らく存在もしない生き物の名を与えられた実在の動物は首の長いキリンだけだろう。


麒麟以外にも中国の想像上の動物は多く、応龍(おうりゅう)や鳳凰(ほうおう)、霊亀(れいき)等々も皆想像上の生き物だ。「泥」もその中の一つで、海の中に住み、体には骨が無く、一旦陸に上がると、一気に元気が無くなり動けなくなると云われている。疲れきって寝てしまうことを「泥のように眠る」、酷い酔っ払いを「泥酔者」と表現するのはその為だ。
また、暑くて汗をかき、髪が顔や首筋に纏(まと)わりつき離れない様を「泥む・なずむ」と表現するそうだ。つまり夏の語源だ。現代では単に物事の進行が妨げられたり、滞る様を指すだけの意味で使われる。


夏なのだから暑いのは当たり前、何とか我慢するとしても、人ごみの「ニオイ」は嫌だ。特に不潔な衣類や体が放つ臭(にお)いには閉口する。
大抵、悪臭の発生源は男だ。女性にだって居るのかも知れないが、ラッシュ時の通勤電車を利用することが無いのでその点は疎い。だが、すれ違う女性の残り香は嬉しい。楽しい時代だ
□ 2010/06/10 モチベーション

仕事をする理由は人それぞれで、続ける理由もまた千差万別だ。そして、好きな仕事に巡り合える幸運に巡り合える者はほんの一握りだ。多くの者は「食べて行く」為に、ストレスを抱えながら我慢の中で日々を過ごしている。耐えられないダメージを受け辞めて行く者も多い。
厚生労働省若年雇用関連データによると、入社した新卒者(大卒)の約3割が3年以内に職場を去っていると云う。その全てがストレスで辞めてゆく訳ではないが、中学、高校、大学の卒業後、3年以内に離職する割合は、それぞれ約7割・5割・3割。つまり、若者の離職率は「七五三」の割合となっている。
新規学卒就職者の在職期間別離職率の推移(PDF)

(資料出所)厚生労働省職業安定業務統計

適材適所はよく使われる言葉だが、企業にとっても、社員にとっても、これほど難しい問題はない。取り敢えずやってみないと適任か否かが判断できないからだ。やってみて初めて向き不向きが判断できる。会社にとっても、本人にとっても、結果が好ましいものであるとは限らない。しかし、中にはどこへ配属されようが、どのような仕事であろうと、それなりに活躍し、メキメキと頭角を現す者もいる。当然その逆の者もいる。また、はなからサラリーマンには向いていない者だって少なからずいることは確かだ。
可能性のある者もいれば無い者もいる。それを束ね、如何に効果的に人材を使えるか、それが伸びる企業と衰退する企業との差でもある。職場を去る最大の原因は昔から人間関係だと相場が決まっているが、誰しもが何らかの希望や目的があって入社するが、思ったように仕事ができず挫折するものも多い。本人のスキル不足に起因することも多々あるが、企業側からの刺激が少な過ぎる場合もある。つまりは「モチベーション」の維持だ。


モチベーション( motivation )は「動機付け」と訳され、ある目標に向かって行動を始める際の内的な動因や外部からの誘因で成立する。
人を行動に駆り立てる要因(動機付け)には、達成動機、内発的動機、外発的動機等が考えられているが、大きく「内発的動機」と「外発的動機」とに分けられると思う。
「内発的動機」は賞罰(報酬)の有無とは関係なく、ただ単に知的好奇心を満たす為に、自らが目標を定め、その達成の為に努力し、達成感のみを最大の報酬とする。つまり、行動自体が目的とも言え、このような人物の能力を活かせる部署があれば、まさにそれは「適材適所」、企業にとって大きな力となるに違いないだろう。また、そのような誘因での行動は、自発的に切磋琢磨し、自然とスキルアップして行くので、行動自体がスマートで無駄が少い。
一方、「外発的動機」は賞罰(報酬)や義務(強制な業務命令を含む)が誘因で、「食べる為」等の目標を予め定め、それを達成させることが主な目的となる。どこかAKBのファン投票(?)に似てなくもない。
故に、努力が正しく評価(報酬)されず、報酬(評価)も増えないのであれば、急激に気持ちが萎縮する傾向が強い。特に強制を伴う類の仕事は挫折感がより強く現れる特徴がある。褒められればブタでさえ木に登るのだから当然と言えば当然だが…
ただ、成果に対する感じ方は人様々で、特に「失敗」をしたときに顕著に現れる。「失敗」を己の能力や努力が不足していた(内的要因)と感じる者と、逆に達成不可能なミッションを与えられ、周囲が非協力的であった(外的要因)とする者もいる。前者は再チャレンジできる資質を備えていると考えられるが、後者にそれは望めないだろう。しかし、企業は後者に向上が見られないからと簡単に切り捨てる訳には行かない。人は誰しもが報酬とは別に、「認められたい」とか「役に立ちたい」との欲求がある。その辺の心の動きを読めるか否かも企業側の責任でもある。
□ 2012/05/20 刺青(いれずみ)

他の国は知らんが、日本の一般企業では刺青はご法度だ。目立つ場所の刺青など言語道断、到底許されない。クライアントと直接接することが多い部署は特にその傾向が強い。自社では許されることも他社では駄目なことも多い。それらを充分に考慮し、無難で控えめな態度や服装で接するのが一般的な習わしだ。
つまり、クライアントの価値観が優先され、相手先に与える印象は大事だ。神経を使わざるを得ない。橋本大阪市長は職員の刺青問題で「刺青をしたい者は民間に移ってもらいたい」とコメントしたが、まるで民間企業なら大手を振って刺青がまかり通るかのような発言に聴こえる。恐らくそのような意味で言ったのではないだろうが、そのぐらい言わねば腐った組織は救えないのかも知れない。


刺青は保守的な企業ではまず受け入れられない。ただ、ファッションとして体の一部に小さく入れたものや、見えない場所に入れたものまで大騒ぎすることはない。ただし、相手を威圧する目的での刺青は大いに問題にすべきだ。
公務員は公務員として襟を正す必要がある。物事には赦される限度と、明らかに排除されなければならないものが存在する。個人個人の価値観で異なるが、最初に禁止規定が無かったのであれば、あとは「躾」(2012/01/18 躾とは叱ること?を参照されたし)の問題だ。今更、社会人に「躾」が必要とは嘆かわしい限りだが、家庭も学校も「躾」ができない。誰がそうしたかは言わずとも判るだろうが、実に情けない国になってしまった。


今は、ファッションとして刺青をする若者が多い。デザイナーやアーティストは職業柄それでも良いだろうが、一度入れると簡単には落とせない。後で多額の費用をかけて取り除くことを考えれば、もっと慎重であるべきだ。恋人の名を彫る者も多いが、これは考え物だ。明日には別れている可能性だってあるのだから…


洋の東西や皮膚の色に関係なく、もろもろの必要性(?)で皮膚に装飾を施す民族は多い。1991年にアルプスの渓谷にある氷河で発見された約5300年前のミイラ(愛称:アイスマン)にも刺青のようなものがあった。ケルトの文様として有名なケイルト人は全身に刺青をしていたし、日本のアイヌ族も顔や体に刺青を入れていた。
刺青自体は人類の歴史では極めて自然なもので、世界中にその風習が認められる。また、皮膚に直接着色するので、消し難く長持ちする。従って身分や所属等を示す識別手段として古くから活用されてきた長い歴史がある。「魏志倭人伝」や「後漢書東夷伝」には、日本人の刺青に関する記述がある。これが確認されている日本最古の記録だそうだが、いつ頃から始まったのかは定かではないが、江戸中期に文化的に確立されたようだ。


旧約聖書レビ記19章288節に「死人のために身を傷つけてはならない。また身に 入れ墨 をしてはならない。」とある。つまりユダヤの正典が書かれた当時は入れ墨の風習があったことが想像できる。その後、信者からは入れ墨の風習は薄れて行ったのだろう。
□ 2012/05/01 美女三千人の贈り物

李氏朝鮮は、毎年3000人にも及ぶ美女を献上品として明や清に差し出していたと「中国・韓国の歴史歪曲・黄文雄著」にある。また、「渓陰漫筆」によると、朝鮮の使臣は籠に乗り宮廷に入ることが許されず、徒歩で入ったと云う。冊封国であった琉球が籠に乗って入ったのとは対照的だ。
朝鮮は琉球より下に見られ、属国中最下位でしかなかった。その良い例として、朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで迎えに出なければならなかった。つまり、朝鮮の国王の地位は訪れた清の使節より下だったのだ。何とも屈辱的な話しだ。現存する迎恩門(現在の独立門・1897年建立)は、明や清の勅使がソウルを訪れた際に「三跪九叩頭の礼」を行なう場所だった。

▲ 門の横にあった三跪九叩頭の礼の銅板レリーフは撤去されている

総計で3000人ならともかく、毎年3000人となると俄かに信じ難い数字だ。そもそも、当時の朝鮮は食糧事情が余り良くなく(北は今でもそうだが…)、寿命は30~40歳だったとされる。人口が凡そ1200万だったことを考えれば、毎年3000人もの美女(14~15歳?)を貢ぎ続けることが果たして可能だったのだろうか。かなり眉唾の話しだ。献上品の中に「宦官」と「貢女」が含まれていたのは歴史的事実だが、美女3000人は幾らなんでもオーバーだろう。
確かに中国から「採紅使」が訪れると、朝廷の巡察使が各地を廻り、宗主国の鏡にかなう娘を探して歩いたようだ。しかし、毎年もなると特別に美女しか産出しない国ならともかく、有得ない話しだ。またそれが事実なら、記録魔の中国人が文献に残していないのは合点が行かない。この美女献上は高麗後期から朝鮮王朝時代にかけ最も盛んに行われた屈辱の歴史だ。


これらの事実は韓国では余り知られていない。その辺りの事情は日本も同じで、嘉永6年(1853年)ペリー来航時の屈辱的な開港は未だに教科書ではその真実を伏せ嘘が教えられている。ペリーの日本への遠征目的は表面上、①アメリカ漂流民の保護 ②アメリカ捕鯨船の食糧と燃料の補給 ③日本に貿易港を開くことの3点を日本側に要求することだった。しかしペリーの艦隊4隻は砲門を陸地に向け今にも砲撃を開始する構えだった。はなから話し合う気などは無かったのだ。所謂「砲艦外交」だ。米国のこの辺のスタンスは未だに同じだ。世界中で嫌われているのが解る。
大国の隣に位置する小国はどこでも不幸だ。朝鮮は豊富な地下資源に恵まれていることが知られている。貧しい地方を抱えることを当時の中国朝廷は望まず、それが不幸中の幸いであったとも言える。


丙寅洋擾とは1866年10月、フランス人牧師の処刑をきっかけに、朝鮮とフランスとの間で起きた戦争で、珍しく朝鮮が勝利している。これは誇って良い歴史的事実だ。ペリー来航時に時の政府が黒船を全て撃沈していればその後の日本はどうなっただろ。
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