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□ 2013/07/15 海の日に想う

明治9年、東北・北海道巡幸を終えた明治天皇が、灯台視察船「明治丸」で横浜港に帰還した7月20日を記念し、1941年に当時の逓信大臣村田省蔵の提唱により㋆20日を「海の記念日」と定めた。 その後(平成7年)、新たに「海の日」が祝日に加えられ、祝日法改正により7月の第3月曜日へと変わった。元の「海の記念日」が廃止された訳でもないので、20日が「海の記念日」で、第3月曜日が「海の日」となる…?大した問題ではないが、「海の日」は1996年に「海洋国家として広く国民に海への理解と関心を求める日」として休日に定められた。
安倍首相は「海の日」を前に、「海に守られた国」から「海を守る国」へと明らかな方向転換を国民に示した。日本は国土が狭く、陸上の資源も乏しい。然しながら、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせると世界第6位の海洋面積がある。漁業資源の宝庫であると共に、近年では膨大な鉱物資源が眠っていることも判ってきた。江戸時代後期の佐久間象山(さくまぞうざん)は、「海防で最も大切なのは敵国に侮られないことだ」と説き、日本は侵略を受ける恐れがありながら、根本的な防衛策はまるで定まっていないと警告していた。
今やっと日本は自国の領海を守る意識に目覚めようとしている。
 


 
□ 2013/07/14 餅は餅屋の背景

些か季節外れな内容で恐縮だが、勝手気ままに綴るブログなので、そのへんはご勘弁…
よく聴く言葉の中に「餅は餅屋」と言うのがある。最近ではもっぱら正月に食べる程度になった餅だが、日本では古くからハレの日には定番となってきたハレ食だ。
「餅は餅屋」は「物事はその道の専門家に任せるのが最良の策」の例えとして現在でも頻繁に使われる。同類の言葉として良く聴くのが、「蛇の道は蛇」や「馬は馬方」、「芸は道によって賢し」等々だろう。
ただ、気になることがある。この「餅は餅屋」を物作りの難しさに例え、「餅作りは素人には難しい」と言うような意味合いで使う者が結構いることだ。確かにどのような職業でもその道のプロが存在する。何事も一朝一夕で叶えられるほどこの世は甘くはない。しかし、この言葉が生まれた背景を考えるとそのような使い方には少なからず違和感が生じる。
 

江戸時代には、餅搗き道具一式を取り揃え、餅搗きの依頼があった家の前で餅を搗く所謂「引きずり餅」と呼ぶ者達がいた。大方は町内の鳶や人足が5人位で1組になり餅搗きを請け負った。「景気よく」が信条で、「千本杵」と呼ぶ数人の男が歌に合わせ一気に搗き上げる派手な趣向もあった。

  リロード

武家や寺社、大店、は自分のところで餅を搗くのが通例で、それが叶わなぬ庶民は「引きずり餅」か、菓子屋に頼む「賃餅」だった。ただ「賃餅」は殆どが下物を扱う菓子屋で、上物を扱うようなところは、正月用の菓子作りに追われ、餅搗きの要望に応えることは難しかったようだ。ただ見栄っ張りの江戸庶民は「引きずり餅」を頼む家が多かったようで、「引きずり餅」は大いに繁盛したようだ。
「何事にもその道の専門家がいるので、任せるのが一番良い」という意味で使われる「餅は餅屋」は、どうやら自分では餅を搗けない庶民が生み出した言葉のようだ。今で言うところの「アウト・ソーシング」だ。
 
http://shiga-bunkazai.jp/

上の胴臼(太鼓胴臼)と横杵(よこぎね)は江戸時代中期頃のもので、弥生時代以来臼は下の写真のような胴のくびれた「くびれ臼」と「たて杵」が用いられたそうだ。
エステ
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