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□ 2014/07/11 まさにデジタルリメイクの世界だ!

小学校3年生の時、突然成績が下がり、そのことに担任が気付いた。背が高かったので席順は最後列で黒板は全く見えなかった。不思議なもので本人には「見えない」という自覚がない。教師が気付いたことで最前列に席替となった。その時からメガネが手放せない生活が始まる。
成長とともに近視が進み、成人式を迎える頃には強度の近眼となった。現在のように薄い圧縮レンズはまだ無かった。レンズは分厚く重たい。お蔭で諦めざるを得なかったことは多い。
体力には自信があったが、メガネがずれる(鼻が低い?)ので激しいスポーツからは自然と遠ざかった。それでもマウンテンバイクだけは別だった。まだ一般には知られていない黎明期の頃に始めた。専用のコースなど無い時代だ。担いで目的の山に登り、道なき道を山から山へと縦走した。気に入った場所があれば、そこから一気に裾を目指して駆け下りる。ヘルメット必須の危険なスポーツだ。当時、「山に自転車」は有り得ない光景だったのだろう。出遭う登山者は一様に驚いた表情をした。
歳を経るにつれ(体力が伴わない…)自転車以外の釣りや酒、音楽、読書、カメラ等に比重が移っていった。年間300~500冊は読んでいた本も、ここ数年は読み続けることが苦痛となった。当然、説明書(文字の小さいものが多い)の類は一切目を通さなくなった。長年の経験で大抵のことは何とかなるものだ。
メガネ屋で「視力が出ない」と言われて既に二十年近い歳月が流れている。メガネを壊して新調する為に今年の3月に数十年ぶりに眼科へ行った。「度」が出ないのは当然で、「白内障」との診断だった。見えないのは当たり前だったのだ!
 

どうやら長年「白内障」を患っていたようだ。即手術と行きたいところだが、日々の生活習慣が祟り HbA1c の値が11.4もあり、手術はアッサリ断られた。医師の診断では、手術可能になるには最低1年は要するとのことだったが、現実問題として駅の階段を踏み外すほど見えない。
そこで暴飲暴食を慎み、血糖コントロールに真面目に立ち向かった。その甲斐があり、6月には手術の許可が下り、7月8日に第一回目(左目)の手術を受けた。予想以上に白内障が進行していたようで当初予定されていた時間を大幅に上回ったが無地終了した。眼帯が取れるのは翌日だ。
世界が変わるとは聞いてはいたが、感動した。まるでデジタルリメイクした映像を観ているようだ。色が溢れている!
下は手術の済んだ左目(下側の図)と、まだ済んでいない右目(上側の図)で同じ図を見た状態を表したものだ。1枚の画像を左目と右目で交差に見比べ、色やコントラストも可能な限り忠実に Photoshop で再現した。


眼帯が取れてまだ3日目だが、暗くなって色が出ないブラウン管TVからいきなり4K画質の最新TVに替わったような感動の世界が拓けた。輪郭がハッキリとしたせいか、平坦だった映像が立体的にすら見える。当分TVの虜になりそうだ。右目の手術が待ち遠しい。
エステ
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