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□ 2014/11/13 チジミ・お好み焼き・たらし焼き | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
我が家では娘とチジミを作って食べる機会が結構多い。冷蔵庫内の残り物で簡単にできるからだ。ただ、油をかなり使うので見た目よりはカロリーが高いので要注意だ。最近はスパーで簡単に作れる「チジミの粉」も売っているが小麦粉は常備しているし、至極簡単な料理なので一から自分で作るようにしている。 作り方は至って簡単、冷やした鶏がらスープ(これだけが少し面倒)に少量の塩と調味料(グルタミン酸は使わない)を加えたもので小麦粉(薄力粉)を溶き、好みの具材(青唐辛子・イカ・ネギ・ニラ・揚げ玉等・特に青唐辛子の分量が凄まじく多いのが特徴)を入れてサックと混ぜる。 捏ね回すと小麦のグルテンが働き生地が粘る。あくまでも表面がカリッ焼き上がり、中がモチモチではなくサクッと仕上がることを目指している。てんぷら同様、タネは直前に作る。後はタップリのゴマ油で焼く。 最初は強火で直ぐに中火にして焼く。端の方がきつね色に変わってきたら、引っ繰り返して反対側も焼くが、この時ヘラで表面を押し潰す方法と、そのままの方法とがある。どちらにするかは好みの問題だが、本場韓国では一気に潰して薄く仕上げる。我が家では前者の方法を採る。但し、韓国のようにタレは使わず、タネの味付けだけで食べる。出来上がりの色は普通のチジミとは違う。汗も噴き出す。 |
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韓国料理関連の店やサイトでは「チヂミ」と表記する。しかし、内閣告示の「外来語の表記」に従えば、外来語に「ヂ」や「ヅ」は使わないことになっている。従って日本語で表記する場合は、「チヂミ」ではなく「チジミ」が正しい。 内閣告示「外来語(カタカナ)表記ガイドライン 第2版」 PDF |
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日本でチジミと呼ばれているものは、韓国では一般的に「ジョン・煎」とか「ブッチンゲ」と呼ばれている。もともとチジミと言う呼び方は、江原道の方言だそうで、ソウルではジョンと呼ぶのが一般的だそうだ。 写真からも判る通り、「韓国風お好み焼き」とも言えるような家庭料理で、具を換えさえすれば色々な味が楽しめ、且つ手軽なので小腹のすいた時に役立つ。日本のお好み焼きは「チジミ」が起源だとする説が韓国では一般的にだが、チジミにしろお好み焼きにしろ、水で溶いた小麦粉に野菜や肉、魚介類等を具材として鉄板の上で焼くだけの簡単料理なので、小麦粉さえ手に入れば世界中どこでも似たような料理が創出されても不思議ではない。 |
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お好み焼きの起源は安土桃山時代。創作者は彼の有名な「千利休」が創った「麩の焼き」だとされている。つまり、最初は優雅なお茶菓子だった。 江戸時代末期から明治にかけて「助惣焼」が生まれ、明治に入ってからは、東京で「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が流行り、お好み焼きに近いものが食べられるようになった。使われる具材にも変化があり、お菓子から満腹感の得られる主食へと徐々に変貌して行った。 特に関東大震災で食料が極端に不足した一時期、手に入るものを使い、直ぐに食べれる手軽な「どんどん焼き」が大いに歓迎されたと云う。 大正時代の関西では、水で溶いた小麦粉を鉄板に流し、その上に刻みネギを乗せて焼いてソースをかける「一銭洋食・いっせんようしょく」なるものが庶民の間に浸透していた。元々は駄菓子屋の食べ物ではあったが、終戦後(第二次世界大戦)の飢餓時代には、これが空腹を満たす手軽な代用食として注目された。肉が乏しい時代なのでキャベツ等の野菜類が多く使われるようになり、まさに今の「お好み焼き」の原型を形作った時代であった。 |
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今では、焼き方や具材の違い等で様々なバリエーションが派生し、昔は使われることがなかったマヨネーズが当たり前の如く登場する。 子供の頃、母が作った「どんどん焼き」にはマヨネーズは無かった。辛うじてソースだけは使われていたような微かな記憶がある。ひょっとすると醤油だったかも知れない…料理下手のせいか、はたまた我が家の経済事情の為かは知らないが、貧乏臭い食べ物だったことだけは鮮明に覚えている。今考えると、母の「どんどん焼き」は、料理下手と経済事情の両者が合体したコラボ料理であったようにも思える。おやつでは無く飢えを凌ぐ主食だった。 まぁ、誰もが多かれ少なかれ何がしかの経済的事情を抱えながら生きていた時代ではあった…過去のトラウマ故か、未だに「お好み焼き屋」に足を運ぶことは無い。 |
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埼玉県秩の秩父地方を中心に、農作業の合間や小腹を満たす目的で作られた「たらし焼き」も「一銭洋食」と同じで、お菓子の無かった時代にはおやつ代わりとして重宝され、今でもお茶受けとして利用され続けている。 地元で採れるネギや青紫蘇、味噌等を使い、鉄板に垂らして両面を焼くだけのシンプルなもので、今でも家庭の味として引き継がれ、具材もそれぞれの家庭で工夫されるようになって来ている。だが、お好み焼きのようにソースやマヨネーズを使うことは無く、具材も多くせず素材そのものの味を活かすのが基本となっている。 |
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