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#143 |
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□ 2015/01/30 ISISが後藤健二氏の家族を脅迫していた | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリージャーナリストとその家族を支援する国際団体「ローリー・ペック・トラスト」(本部・ロンドン)は1月29日、イスラム系過激派組織「イスラム国」(ISIL)に捕らえられているジャーナリスト後藤健二さんの妻の手記を公表した。手 記では、「イスラム国」からメールで、ヨルダン政府にリシャウィ死刑囚の釈放を求めるメッセージを送るよう求められたとしている。後藤さんが2人の幼い娘 を残して、10月25日にシリアへ旅立ったこと、12月2日以降、「イスラム国」とメールでやりとりを続けてきた経緯などをつづり「ヨルダン政府と日本政 府に、二人の運命が委ねられていることを理解して欲しい」と訴えている。 音声: https://soundcloud.com/stuart-hughes-16/rinko-goto-statement 日本語訳: http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/29/rinko-message_n_6570652.html |
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Thursday, 29 January 2015 Written by Rory Peck Trust An emotional plea from Rinko, the wife of freelance journalist Kenji Goto, as the deadline for his release approaches.
My name is Rinko. I am the wife of Kenji Goto, the journalist
who is being held by a group in Syria. He was taken from me on 25
October 2014, and since then I have been working tirelessly behind the
scenes for his release.
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□ 2015/01/30 ISISに動きなし |
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後藤氏の音声メッセージ以降、ISISは何の動きもみせていない。一時、ヨルダン政府が人質交換に応じる意向を示したとの報道もあったが、欧米には人質交換やテロリストとの交渉には反対の立場を示す政府やメディアが多く、ヨルダン政府も死刑囚釈放にはそう易々とは応じられそうもない。 |
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ISISは指定した刻限までに、収監しているサジダ・リシャウィ死刑囚との交換が行われなければ、ヨルダン空軍のカサースベ中尉の命は保障しないと後藤氏に語らせている。ただ、ISISが要求したのは後藤氏とサジダ・リシャウィ死刑囚との相互交換で、カサースベ中尉との交換には触れていない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨルダン国民にしてみれば、自分の意思でイスラム国入りして拘束された外国人と、国の命令で戦地に赴き捕虜となった軍人とを同列に置けないと考えたとしても不思議ではない。 「人の命に重い軽いは無い」とか「人の命は地球よりも重い」と語るのは簡単だが、今回のように嫌でも人の命を秤に掛けねばならないことだってある。後藤氏の命は風前の灯火だが、ヨルダン政府もカサースベ中尉抜きでの交渉には到底応じられないだろう。 |
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どこの国でもそうだが、政府の言うことは疑問符だらけのことが多い。特に、ことがデリーケートな場合は尚更だ。欧米では、テロリストやテロ組織との交渉や要求には「応じない」が基本姿勢のようだが、実際には昨年、アフガニスタンでタリバンに拘束された米陸軍のボウ・バーグダル軍曹の解放と引き換えに、グアンタナモ収容所のタリバン幹部5人を釈放している。この収容所での拷問は有名で、アメリカ本国の法律が全く及ばないのをいいことに軍人がやりたい放題の残虐な拷問を行っていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
釈放された者は益々欧米に対する憎悪が増し、更なるテロに走ることになる。まさに負の連鎖だが留まるところを知らない。 欧米はしきりにテロとの戦いを叫ぶが、イスラム諸国に対しの暴虐はすっかり忘れてしまったようだ。そもそも中東を自分達の都合で勝手に分断し、紛争の種を撒き散らしたのはフランスとイギリスが張本人だ。フランスやイギリスにアラブ系移民が多いのには訳がある。 世界地図を開くと、国境線が直線になった国がある。それらの多くは白人国家の植民地支配に端を発している。 |
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ヨルダンは1994年にイスラエルとの和平締結以降、中東では数少ない親米路線に大きく舵を切った国だ。拘束されているカサースベ中尉も、米軍との共同作戦に加わった際に撃墜されたものだ。 ヨルダンでの空軍パイロットの地位は非常に高く、軍人の華とされ尊敬の対象となる。その多くは有力な部族出身で、例に漏れずカサースベ中尉も有力部族の出身だ。 また、ヨルダン国内には国王の親米・親イスラエル路線を快く思わない者も多いようで、国王もサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放に前向きにならざるを得なかった側面もあったようだ。 故に、ヨルダン政府は執拗に中尉の生存確認をしたが、交渉は頓挫(とんざ)してしまった。日本政府もヨルダン国内の事情に配慮し、積極的に働きかける訳にも行かない。膠着状態は何時まで続くのだろう… |
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