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□ 2015/02/27 江戸時代の携帯日時計と日本の標準時 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
須磨浦山上遊園 ”日時計と青葉の笛広場” |
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江戸時代、時刻は日の出と日没を基準とする不定時法(時鐘式)が使われていた。日の出の凡そ30分前を「明け六つ」とし、同じく日没後の凡そ30分を「暮れ六つ」としていた。そして昼夜それぞれを六等分して一刻(いっとき)と取り決めていた。つまりこれでは、季節により一刻の長さが異なることになる。夏場は昼が長く夜が短い、逆に冬場は昼が短くひと肌恋しい夜が長くなる。現代から考えるとかなりいい加減な定め方だ。 今からは考えられないが、江戸時代には「休日」という考え方が無い。年中無休なのだからこの方法で何ら不都合が無かったのだ。また、各自が持ち歩く腕時計(最近は持たない傾向にある)が無くとも、仕事を始める時間や終わる時間は各地に設けられた「時の鐘・ときのかね」が知らせてくれたので全く困らなかったと云う。 また、「時の鐘」は判別がつき易いように、最初は「捨て鐘・すてがね」を三回続けて打ち、それに続いて時刻を告げる鐘を打った。これも最初の音は長く次第に間隔を短くするよう工夫してあった。途中から聞いた者も容易に時刻が判るようにらしいが、恐らく現代人なら???になる。慣れを必要としそうだ。2回続けて貰えたら確実に判るが… |
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上は江戸時代に旅行者が持ち歩いた和紙製の携帯時計だ。一見難しそうだが使い方は至って簡単、紙を水平に保ち、その月の付箋を立てて太陽方向にかざすだけだ。その時の時刻は出来た影で判る。ただこの付箋、果たして
Post-it のように何回も貼ったり剥がしたりすることが出来たのだろうか。 下は外側が真鍮で文字盤が銀製の豪華な日時計だ。高級武士や金持ちの商人等が使っていたのだろう。紙製のものとは雲泥の差がある。それは何時の世も同じか… |
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http://kodokei.sblo.jp/article/55945408.html |
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時代劇での「亥の刻」や「辰の刻」のような言い方は江戸も初期の頃で、中期以降は「五つ」とか「六つ半」と言うようになっている。 因みに十二支で時刻を表には、昼と夜をそれぞれを6分割し、昼間が一刻×6、夜が同じく一刻×6で、一日を12分割する。これを十二支の順で並べ、①子の刻 → ②丑の刻 → ③寅の刻 → ④卯の刻 → ⑤辰の刻 → ⑥巳の刻 → ⑦午の刻 → ⑧未の刻 → ⑨申の刻 → ⑩酉の刻 → ⑪戌の刻 → ⑫亥の刻、のようになる。 そしてそれぞれの時間帯(一刻・約2時間)を更に3分割して ①上刻、②中刻、③下刻とした。しかし、厳密に区切られていたとは到底思えず、結構アバウトだったのではと想像している。 これだけでも面倒なのに、定時制と不定時制について語るとなると、余りにも面倒なので止めるが、大まかな時間管理で不便なく暮らしていた時代がある意味羨ましい。 |
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日本には「日本標準時」と「中央標準時」があり、「日本標準時」は独立行政法人情報通信研究機構(東京都小金井市)の原子時計で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間進めた時刻(東経135度分の時差)を指し、これを日本における標準時とした。この時刻は日本放送協会や各民間の放送局やNTT (117) の時報等に用いられている。 一方、「中央標準時」は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台が決定し、現実の信号として示した時刻とされる。 日本の法令では、「東経135度の子午線の時を以て一般の標準時とし、その標準時を中央標準時と称する」と定めている。ここで「標準時」と「中央標準時」という名称が使われているが「日本標準時」という名称は存在しない。 故に、米国のように東部標準時とか西部標準時のようなものは存在しない。しかし日本列島はかなり長く、札幌が経度141度、沖縄の那覇が127度なので、その差は14度になり、凡そ1時間の時差が生じる。 日本より遥かに広い米国では4つのタイムゾーンがある。東海岸のニューヨークから西海岸のロサンジェルスまでは4000キロあり、北の果てにはアラスカ州、太平洋のド真ん中にはハワイ州まである。これだけ広いと流石にタイムゾーンが幾つか必要になる。 ニューヨークとロスアンゼルスでは時差が3時間、これはニューヨークが昼の12時なら、ロスアンゼルスでは朝の9時ということだ。これだけの時差があるのに同一標準時で生活するとなると大変だ。 ところが、中国は東西に5200キロ、経度にして60度に渡り国土が広がっているが、時差を一切設けず北京標準時のみだ。太平洋岸が朝を迎える頃、新疆ウイグル自治区では夜中だ。 北京標準時で9時が出社刻限の会社では、北京や上海の勤め人は良いが、ウイグル自治区ではまだ朝の5時だ。これは幾らなんでも不公平だろう。共産党一党支配だからこそ可能なのだろう。 |
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【日本の中央標準時と西部標準時】 1895年から第二次世界大戦が終わる(1945年)まで、日本は台湾を支配下に治め、1895年12月には「勅令第百六十七号」を公布し、東経135度線を基にした標準時を 「中央標準時」とし、新たに東経120度線を基にした「西部標準時」の設置を定め、1896年1月より施行し、日本に二つの標準時が生まれた。 西部標準時は、台湾および澎湖列島と八重山および宮古列島を適用範囲とし、「中央標準時」よりマイナス1時間、グリニッジ世界時よりプラス8時間の時刻が用いられた。 だが、一部の地域だけマイナス1時間の時差を設けることは混乱を招き兼ねず、不便も多かったことから、昭和12年(1937年)9月に「 勅令第五二九号」によって西部標準時は廃止された。 |
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Kyoto Tachibana HS Band
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