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観て損はない原発関連の動画
日本の原発(衛星写真)
原発
BWR/6 General Description of a Boiling Water Reactor

福島原発と同型原子炉の仕様が判るが、少し重たい。ファイルはPDFだ。(英語)
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ブログをはじめてみた

ブログとは Web と Log を結合した造語で、当初は weblog と呼ばれ、それを略して blog と呼ばれるようになったようだ。気になったニュースやサイトを、寸評を加え紹介したアメリカのサイトが、最初だとも云われるが、ブログが注目されだす以前から、日本では個人の見解を発信するニュースサイトや日記サイトが存在したようだ。今ではブログ作成用ツールが提供されるようになり、HTML を知らずとも情報発信ができ、携帯からも簡単にサイトの更新ができるサービスもある。
既に幾つかのサイト(ブログではありませんヨ!)を持っていますが、いずれも HTML で記述したもので、と言っても HPB … ブログで使われている HTML を自動生成する PHP は仕組みが解らず、更新もそうそう頻繁に行いそうもないので、 HTML で作ることにした。
取り敢えず、主要検索エンジンでの上位表示(10位以内)は、コミュニティーに参加しないでサイトを立ちあげる者には欠かすことができない条件とも言えるので、当分はSEOに励むことになりそう。
その時々の世相や時事問題、専門分野の話題に独自の見解を掲載するものが主流なようだが、ここでは特にテーマは考えず、気ままにその時思ったことや感じたことを綴って行きたいと考えている。敢えてテーマを付けるとしたら”SO What"ですかネ、まぁ一種のストレス発散…!
□ 2010/07/10
 
□ 2012/05/01 美女三千人の贈り物

李氏朝鮮は、毎年3000人にも及ぶ美女を献上品として明や清に差し出していたと「中国・韓国の歴史歪曲・黄文雄著」にある。また、「渓陰漫筆」によると、朝鮮の使臣は籠に乗り宮廷に入ることが許されず、徒歩で入ったと云う。冊封国であった琉球が籠に乗って入ったのとは対照的だ。
朝鮮は琉球より下に見られ、属国中最下位でしかなかった。その良い例として、朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで迎えに出なければならなかった。つまり、朝鮮の国王の地位は訪れた清の使節より下だったのだ。何とも屈辱的な話しだ。現存する迎恩門(現在の独立門・1897年建立)は、明や清の勅使がソウルを訪れた際に「三跪九叩頭の礼」を行なう場所だった。

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▲ 門の横にあった三跪九叩頭の礼の銅板レリーフは撤去されている

総計で3000人ならともかく、毎年3000人となると俄かに信じ難い数字だ。そもそも、当時の朝鮮は食糧事情が余り良くなく(北は今でもそうだが…)、寿命は30~40歳だったとされる。人口が凡そ1200万だったことを考えれば、毎年3000人もの美女(14~15歳?)を貢ぎ続けることが果たして可能だったのだろうか。かなり眉唾の話しだ。献上品の中に「宦官」と「貢女」が含まれていたのは歴史的事実だが、美女3000人は幾らなんでもオーバーだろう。
確かに中国から「採紅使」が訪れると、朝廷の巡察使が各地を廻り、宗主国の鏡にかなう娘を探して歩いたようだ。しかし、毎年もなると特別に美女しか産出しない国ならともかく、有得ない話しだ。またそれが事実なら、記録魔の中国人が文献に残していないのは合点が行かない。この美女献上は高麗後期から朝鮮王朝時代にかけ最も盛んに行われた屈辱の歴史だ。

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これらの事実は韓国では余り知られていない。その辺りの事情は日本も同じで、嘉永6年(1853年)ペリー来航時の屈辱的な開港は未だに教科書ではその真実を伏せ嘘が教えられている。ペリーの日本への遠征目的は表面上、①アメリカ漂流民の保護 ②アメリカ捕鯨船の食糧と燃料の補給 ③日本に貿易港を開くことの3点を日本側に要求することだった。しかしペリーの艦隊4隻は砲門を陸地に向け今にも砲撃を開始する構えだった。はなから話し合う気などは無かったのだ。所謂「砲艦外交」だ。米国のこの辺のスタンスは未だに同じだ。世界中で嫌われているのが解る。
大国の隣に位置する小国はどこでも不幸だ。朝鮮は豊富な地下資源に恵まれていることが知られている。貧しい地方を抱えることを当時の中国朝廷は望まず、それが不幸中の幸いであったとも言える。

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丙寅洋擾とは1866年10月、フランス人牧師の処刑をきっかけに、朝鮮とフランスとの間で起きた戦争で、珍しく朝鮮が勝利している。これは誇って良い歴史的事実だ。ペリー来航時に時の政府が黒船を全て撃沈していればその後の日本はどうなっただろ。

帰宅途中で見つけた美味しい韓国家庭料理のお店「ソウル亭」です。綺麗なママが♪♪♪
日本では5万人以上が参加するチャイル・ドスポンサーシップ
    
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