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□ 2015/03/01 悍ましい(おぞましい)日本の風習”おじろく・おばさ”

何処の国にも隠したい悍ましい(おぞましい)文化や風習はある。その多くは、存続意義が失われたことで自然に消滅したり廃れていったが、形を変えて人畜無害な風習に変貌し受け継がれているものも多くある。
消滅したり、廃れたりした最大の原因は、それらの文化や風習が著しく人権を侵害し、社会通念に照らしても、到底受け入れ難かったことが挙げられると考えられるが、その社会や民族が滅びてしまったことにより失われる場合もある。

インドのヒンドゥ教徒は、人が死ぬとガンジス川にそのまま流したり、火葬した後の遺骨を流すことにより供養する。
しかし、火葬とは言え実際に人間一人を完全に灰にするにはかなりの薪が必要となる。そこで適当に焼いてまだ形のある亡骸を川に流してしまう。
ガンジス川は水葬と沐浴が混在している。ヒンドゥーの神話では元々天界を流れる川であったが、敬虔な人々の願いが叶い、地上を流れるようになったとされる。その為、遺体や遺灰を流すのは最大の供養になると考えられていると云う。
しかし、これはいくらなんでも…


死の灰に染まる川
つまり、昔はそれで良かったかも知れないが、社会環境の変化に伴い、人の往来が自由、且つ活発になり、それらの行為が部外者の目に留まることで、「悍ましく甚だ不愉快でむごい風習」であるとジャッジされ、非難や差別の対象と成ることを恐れたのだと思われる。また、社会が開かれたことにより、止むを得ない(?)理由で始まった当初の意義も失われてしまったのかも知れない。
そもそも、廃れて行った風習は多くの者がそれを必要とはせず、継続に疑問を感じていたからに他ならない。未だに続く悍ましい風習もあるが、その多くは強権や暴力によるもので、大多数の者が厭々従わざるを得ない状況に置かれていたり、世の中の半分を支える女性に採決権が与えられていない場合が多い。世界の悍ましい風習は女性に裁量権さえあったなら、その多くはとうの昔に消滅していただろう。
Five people suspected of witchcraft burnt alive in Kenya
ケニアの村で、魔女だとされた5人の男女が火の中に放り込まれて殺される様子を撮影した残酷な映像。21世紀とはとても思えない…これがアフリカの現状だ。
どのような風習であれ、それが生まれて来る過程に於いては「必然性」のようなものが存在した筈だ。
ただ今はその記憶が失われてしまっただけで、我々の規範にそぐわないからと一概にそれが間違いだとは批判できない。
しかし、それが誰から見ても理不尽な理由により、抵抗できない者を辱めたり疵つけたりすることであったり、また男の身勝手で女性を凌辱したりする行為は赦されない。まして小さな子供がその対象となることは決してあってはならない。上の動画は幾らなんでも酷過ぎる。このような行為が未だにアフリカや中東、アジアのイスラム圏で行われている理由は…仏教国では終ぞ聞いたことが無い。】

円の中心の山陰にあるのが長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)
日本にも当然そのような隠したい恐ろしい因習がある。日本人でも知る者が少ない「おじろく・おばさ」の制度がそれだ。「おじろく」が男で「おばさ」は女を指す。
制度と言っても国(当時は徳川幕府)が定めたものではなく、専ら地域の必要に応じ特定の村落のみで行われたものである。
この「おじろく・おばさ」の風習があった長野の上原村は、現在では下伊那郡天龍村神原に地名が変わった。上の空撮からも判る通り(白い円で囲まれた中心辺り)上原村は、甚だ耕地が少ない山間部の山陰に位置している。今でこそ周囲に集落があるが、制度が維持されていた当時は周囲に集落も無く、食べるにも食べられない極貧の集落であったことが想像できる。
日本は国土の70%が山間地だ。山や森によって隔絶された村では、他所との交流が少なく、往々にして土地独自の文化や風習が起こり易い。
林研三氏の、「貰い子」と家族と村落-青森県下北郡東通村尻屋・目名の事例から」には『…「貰い子」とは、養子や里子と同様に実親から引き離された子が貰い受けた親のもとで養育されている子であり、通常はその労力は貰い受けた親や家に提供されていた。「事典 家族」にれば、「昭和初期まで偏僻の磯漁痴態では、養い子とも称し、幼児の養育・保護よりも、成長後の労働を目的として、他人の子を養う例も少なくなかった。背後の農山村の貧農の男児を、食い扶持減らしのため四~八歳の幼いういちに貰い受け、成長後はその地方における区切りとされ年齢(二〇歳~二五歳ぐらい)まで養家のために働かせ、その後の身の振り方は当人の自由にするという風であった」とされている。下北地方の集落でもこの「貰い子」が見られたことが報告されているが、多くはやはり七、八歳の時かあるいはそれよりも幼少の年齢の時に貰われる場合が多かったようである。実親の経済的事情なども作用したらしく、その受け渡しに際しては金銭の授受もあったという。…』とあるように、貧しい地域ではどこも同じようなことをしていたようだ。成長してからの労働力目当ての子供たちがどのような扱いを受けたかは容易に想像できる。過酷な生活だったのだろう。
 
神原村は長男以外を養う余力が無く、長男以外は「おじろく・おばさ」と呼ばれ、家のために死ぬまで無償で働かなければならない境遇に落とされた。
家庭内での地位は家長の妻子や自分の甥っ子や姪っ子よりも下で、下男下女として扱われた。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子にでも出ない限り結婚は禁じられ、村の祝い事に参加することが許されなかった。朝も暗いうちから夜遅くまで働かされ、他人との接触も殆んど無いまま一生を終えるたのである。
幼い頃から長男とは異なる奴隷状況に置かれ、全ての楽しみを奪われ虐げられることで、精神障害に陥ったとしても何ら不思議では無い。一切の物事に無関心で、言い付けられたこと以外には行動できない極端な「指示待ち人間」の人格が出来上がる。無感動で無気力、常に無表情で他人が話しかけても反応しなくなっても納得できる。
この制度の始まりは16~17世紀頃だとされるので、室町時代後期から江戸時代初期の頃が。明治5年の時点では190人の存命記録があり、昭和40年代に入っても3人が存命していたと云われている。
近藤康治氏は、存命していた男2人、女1人のおじろく・おばさを診断し、その結果を「精神医学・1964年6月号」で報告している。
それによると、「いくら話しかけても無視されるため、催眠鎮静剤であるアミタールを投与して面接を行った。すると固く無表情だった顔が徐々に柔らかくなり、ぽつりぽつりと質問に答えるようになった」と述べ、「他家へ行くのは嫌で、親しくもならなかったし、話もしなかった。面白いことや楽しい思い出は無く、バカ(私は)だから人に会ったり話しかけられたりするのが嫌だった。自分の家が一番で、他へ行っても何もできない。働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない。」と話したと云う。(内容は要約)
近藤康治氏はこの取材に先立ち、①もともと遺伝による精神障害が多い集落であり、そのような人々がおじろく・おばさになる。②気概のある若者は村の外に出てしまい、結果、無気力な者だけが残った。との仮説をたてた。ところが取材によりこの仮説は二つとも間違いで、「おじろく・おばさ」の人格は長年の慣習に縛られた環境要因によるところが大であるとの結論に達したと云う。それは彼らの多くが子供時代には普通で、20代に入ってから性格が変わってしまうというのが、その根拠となっているようだ。
「おじろく・おばさ」と言えども、物心付くまでは長男と同じように育てられたとされるが、全く同じだったとは百歩譲ってもあり得ないと思う。
    
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