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□ 2011/03/03 2011/02/24 Googleの検索アルゴリズム変更

先週の話しで恐縮だが、2月24日に米国のGoogleが、検索アルゴリズムに大幅な変更を加えたと発表した。SEMリサーチによると、大規模な検索ランキング・アルゴリズムの変更は、米国の全検索クエリの11.8%に影響を及ぼすと云う。これは日本のYahoo!にも確実に影響する変更の規模だ。
変更は、検索クエリに対するコンテンツが存在しないサイトや、他のサイトから複製したようなコンテンツで構成されるサイトを「閲覧者にとり価値が低い」と評価し、検索上位には表示し辛くすることを目的としている。当然これには多くのアフィリエイトを貼り付けたサイトも対象になる。グーグルは昔からアフィリエイトを多数配置したサイトを好まない。一方、多数のオリジナル・コンテンツで構成されるサイトは「閲覧者にとり有益」であるとし、検索上位に表示することを目的ともしている。


オズの魔法使い

所詮は人間が判断している訳ではないので、コンテンツの内容を吟味し、まめに更新するしか手はないようだ。因みにこのブログは未だにページランクが付いていない。他に運営するサイトでは1年でページランクが3になったものもある。テーマとなる主コンテンツが存在しないので駄目なのかも。気にしない気にしない!!!
下の記事を読んで欲しい。今や全世界の情報を操作できるグーグルの危うさと傲慢さを理解できるかも。

 アルゴリズムにしがみつくGoogleは明日の検索でピープルパワーのFacebookに負ける

□ 2011/03/02 人力車

人力車は明治時代の日本の数少ない発明品とされるが、誰か考案したかとなると定かではないらしい。馬の代わりに安上がりな人間が車を曳いただけのシロモノで、発明品とするには余りのもお粗末ではあるが、昭和初期までは一般的な交通手段であった。

東京市の人力車
隅田川沿いの人力車

1872年の東京には約4万台もの人力車が行き交い、庶民の代表的な交通手段として親しまれた。しかし1876年には2万5038台と減少し、他の交通手段(汽車や路面電車、自動車等)の台頭と共に急激に衰退していった。
この人力車も最近では各地の観光地を中心に復活の兆しがある。あくまでも遊覧目的に限定されてのことだが、観光地のタクシー同様に車夫がガイドの役も果たすことが多いようだ。車夫に若い者が目立つのも特徴で、女性の車夫も見かける。
□ 2011/03/02 桃の節句・上巳の節句

明日は桃の節句だ。雛あられをほおばる日ではない。文字通り季節の節目のことで、日本の伝統行事を執り行う日のことだ。
江戸時代に幕府が公的な行事として定め、人日(じんじつ・1月7日)、上巳(じようし・3月3日)、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽(ちょうよう・9月9日)の五つがある。3月3日の「ひな祭り」はこの中の「上巳の節句」あたる。上巳(じょうみ)とは3月上旬の巳の日のことだが、新暦では毎年日付の変動あり不便だということで、新暦の3月3日と決めたようだ。
もともとは庶民とは縁のない朝廷内だけの行事で、「上巳の節句」は遣唐使が日本に伝えたとされる。起源は漢の時代にまで遡る中国の行事だ。庶民の行事として一般的になったのは町民文化が花開く江戸時代になってからだ。

江戸時代のひな祭り
吾妻橋親水テラス

我が家にも娘が一人いるが、特にこれといった行事はしない仕来たりだ。まだ娘が幼い頃に紙粘土で一緒に雛人形を作った程度だ。大げさな飾りは好まないし、狭い我が家に置き場はない。
因みに現在のようなひな壇を設けて豪華に飾る習慣は、生活が豊かになる江戸中期で、それもお金持ちの商人に限られたようだ。

吾妻橋親水テラス

「流し雛」は川の水に心身の穢れ(けがれ)を流し、厄を祓う行事として昔から各地で行われている。形代(かたしろ)という身代わり信仰で、そのルーツは平安時代にまで遡る日本の伝統行事だ。この神事が中国から伝わった「上巳節」と結び付いて「上巳の節句」となり、日本独自の伝統行事へと変化していった。
先日の日曜日、東京スカイツリーに行ったついでに吾妻橋親水テラスへ降りてみた。「江戸流しびな振興会」主催による江戸流しびなの準備で多くのテントが設営されていた。決して綺麗とは呼べない東京の川では余計に穢れてしまう気がする。人事ながら心配になった。
この辺りは人力車も多く、観光客には人気のようだ。乗ってみたかったが一人では気恥ずかしい。次に来る時は美しい嫁を伴ってこよう。
□ 2011/03/01 中国と北朝鮮のジャスミン革命

中国も北朝鮮も民主化運動には恐ろしく神経質になっている。中国と北朝鮮ではそもそも民主化運動の意味合いがまるで違うが、互いにピリピリしていることだけは確かだ。
中国は既に共産主義と決別(?)した社会で、如何にこれから混乱を招かずにより豊かな社会へと移行できるかを模索中だ。一方、北朝鮮では前代未聞の三代世襲体制を必死に護ろうと腐心している。1962年秋の最高人民会議第3期第1次会議で、故金日成主席は「1963年の目標が達成されれば、北朝鮮のあらゆる勤労人民は瓦屋根の家で米飯と肉を食べ、よい服を着て豊かな生活が送れる」とそう国民に約束した。それからどれ程の年月が流れたことか、未だ「白い米と肉のスープ」の約束は実現できていない。北朝鮮の国民の欲しているのは、その実態を知らない民主主義社会ではない。そんな外の世界は彼らには関係ない。ただ空腹な腹を満たせる指導者を欲しているのだけだ。

中国のジャスミン革命

開放政策により中国は経済的な成功を収めた。しかし、そのことが貧富の格差が予想以上(そう思いたい…)に大きくした。その格差は今や資本主義国家を完全に超えているようにさえ思える。
民衆の怒りはいつ爆発しても不思議ではないが、著しい経済発展に伴い民衆の生活は向上し、共産党子弟のような一部の特権階級以外でも、それなりの文化的生活を営める恩恵を享受できるようになった。その辺が「ジャスミン革命」が起きた国々とはまるで異なる。

金正日

今や中国は世界二位の経済大国だ。急速な経済発展を遂げる中で、取り残されて不満を持つ者は多いが、大きな船は急激に舵を切れない。日本のバブル崩壊を思い出せば経済が破綻する恐ろしさは想像できる。その数十倍もの世界的不況を招来する可能性すらあるのだ。是非ともこれは避けて欲しい。
解放された自由な社会は素晴らしい。だが、今の中国ではまだまだ時期尚早のような気がする。天安門事件の二の舞にはなって欲しくない。いくら人口が多いとは言え若者の命が失われる事態に発展するようなことがあってはならない。中国は日本を超える老人大国に近々突入するのは確実視されている。
□ 2011/02/28 三寒四温(さんかんしおん)

「三寒四温」と言う昔から言い慣わされてきた言葉がある。気象に関して使われる古諺だ。「三日程度寒い日が続くと次の四日間は暖かい日になる」との意味だ。「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」と同じように昔から慣れ親しんできた言葉だ。
東京マラソンのあった昨日の東京の気温は4月並み、そして今日は一転して真冬に舞い戻った。まさに今頃使う言葉だが「チョト待てよ!」と思う。昔からの言い慣わされ、疑問に思わずにきたが、よくよく考えればおかしな話しだ。連日気温は激しく上下動している。今も昔も諺のように3日+4日の7日間周期で繰り返すことはまずない。何故だろうか。

シベリア高気圧

そもそも、この「三寒四温」とは、中国北東部や朝鮮半島(韓半島)で顕著に観測される気象現象の一つで、「七夕」や「お月見」の習慣と同様に日本に持ち込まれたが、現実の気候(日本の)とは合わなくなってしまっているものの一つだ。
この諺が生まれた中国北東部や朝鮮半島冬場では、春に向かう冬場にシベリア高気圧がほぼ7日間周期で張り出したり引っ込んだりを繰り返すことと関係していると考えられている。ところが四方を生みに囲まれる日本では太平洋高気圧の影響も強く受け、同じような現象が顕著ではない。故に、春先のこの時期に、気温が上下しながら徐々に暖かくなる様を例える言葉として使われる。本来の意味からすると全く違った使われ方をしている。日本では「春近し、一雨ごとの暖かさ」の方がピッタリくる。今日は雨で寒い!「晴れは寒く、雨は暖かい」とも云うが、これもなんだかヘン。確かに夜間は「晴れていれば地表の熱が放出され、雨ならば雲に覆われ逃げ難い」とも云われるが…
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