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福島原子力発電所土木工事の概要:1
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Creation Date: 10-JUL-2010 
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□ 2011/10/20 やっと鎮静化へ向けての困難な第一歩が始まった

先週の17日、政府と東電は福島原発の事故収束に向けた工程表を改定し、「冷温停止」と呼ばれる次の段階(ステップ2)の達成時期を来年1月から年内へと前倒ししたと発表した。
記者会見で園田康博内閣府政務官は、目標を前倒しした理由を、圧力容器底部の温度と、敷地境界の放射線量の2条件が暫定値ではあるが目標を達成した点を挙げた。
現在、放射性物質の外部への放出量は9月の工程表改定時からは半減し、最大で毎時約1億ベクレルになったとされる。この数値は事故当初と比較すると約800万分の1とはだよされるが、充分過ぎる程の量だ。
疑問が残るのは「冷温停止」と言う言葉だ。そもそも「冷温停止」は原子炉が健全な状態の時に誓われる。炉心に穴が開いて燃料が外部にまで漏れるメルト・スルーの場合に「冷温停止」はない。

▲ 2011/09/29 3号基原子炉建屋
▲ 2011/09/24 クレーンから撮影した3号基建屋
▲ 2011/09/29 4号基原子炉建屋
▲ 2011/09/09 完成した原子炉建屋のカバーの骨組み
▲ 2011/10/08 1号基建屋の屋根パネル設置作業
▲ 2011/10/08 1号基建屋

この先安全に燃料を取り除けるまでどれ程の時間がかかるか全く判らないのだ。やっと沈静化(?)へ向けての第一歩が始まったところだ。
□ 2011/10/18 ホシホウジャク(星蜂雀)

散歩中にホバリングしながら花の蜜を吸う星蜂雀(ホシホウジャク)に遭遇した。動きが素早くハチの擬態とされているスズメガ科の昆虫だ。飛んでいる姿はまるでスズメ蜂のようにも見える。


このホシホウジャク幼虫は、ヘクソカズラの葉を食べるそうで、近隣には確かにヘクソカズラが多い。ヘクソカズラは面白い名を持つ蔓植物で、その名の通り葉や茎は「臭い!」。



□ 2011/10/16 板橋区民祭り

板橋区の区民祭り(毎年土曜と日曜の2日間)が今年で40周年を迎えた。震災の影響で今年は花火大会が自粛されたので、区民祭りは区で主宰する今年最初の大きなイベントだ。
板橋の花火大会(お隣の埼玉県戸田市との合同開催)は、東京で一番大きな花火が上がる。打ち上げ数では隅田川の花火大会には負けるが、大きさでは勝る。多くの区民が楽しみにしている夏の風物詩だ。尤も、大きな尺玉は競艇で潤う戸田市側のものだが…
今年の区民祭りは、初日の朝が大風と雨で開催が危ぶまれたが、開始時間の昼ごろには晴れて絶好の天気となった。


会場周囲の飲食店や露店には多くの見物人が溢れたが、出だしが悪かったせいか例年よりは人出が少なかったような気がする。夕方からは恒例の阿波踊りも始まり、やっと祭りらしくなった。多くの蓮で賑わったが、バブル崩壊後は企業の参加が無くなり、若手の踊り手が減ったのは何とも淋しい。



□ 2011/10/15 ロシア船に発見された福島の小型船

東日本の大震災で発生した津波は被災地に壊滅的な被害をもたらした。引き波では多くの犠牲者や家屋、自動車、船舶等々とあらゆるものが海に押し流された。
昨日、ミッドウェー諸島周辺海域で津波によって流されたとみられる福島の小型漁船や冷蔵庫、漁網などが航行中のロシアの訓練用帆船「パラダ」によって相次いで発見された。


発見水域は東北地方から南東に3000kmもある。漂流物は凡そ1~2年かけてアメリカ西海岸に漂着するそうだ。下の写真は米第7艦隊の偵察機が震災後に発見し撮影したものだ。大から小まであらゆるものが含まれている。1~2年後にはアメリカ西海岸へ漂着して問題化するだろう。
□ 2011/10/15 日本夜光塗料製造所

世田谷区のホットスポットの原因と特定されたのは、どうやら医療用のものではなく、飛行機や船の計器類の目盛りに活用された第2次世界大戦当時のものだったことが文部科学省の調査で判った。ビンの一部に「日本夜光塗料」の文字があった為だ。


この「日本夜光塗料製造所」は1945年5月25日の激しい空襲で全焼している。1945年(昭和20年)の3月10日、4月13日、4月15日、5月25日は特に大規模な空襲だったと記録にある。所謂「焼夷弾」を用いた空爆だ。工業地帯を狙うのであれば通常の爆弾を使う。焼夷弾を使ったのは日本家屋は木造なので通常弾頭より大きな効果が望めるからだ。明らかに民間人を目標にした非人道的な爆撃だと言わざるを得ない。
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