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□ 2015/01/10 十二支と八百屋お七

十二支とは、子( ね)・丑 (うし)・寅 (とら)・卯 (う)・辰 (たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)のことだ。恐らく大抵の者は諳(そら)んじることができるポピュラーなものだ。
元々は「十干・じっかん」と組み合わせることで、暦を始めとして、時間や方位などを表す用途として用いられてきた。今で言うところの一種の「数値」である。
だが、子=鼠、丑=牛、寅=虎、卯 =兎、辰=竜、巳=蛇、午=馬、未=羊、申=猿、酉=鶏、戌=犬、亥=猪、のような動物に対応した意味は全く無い。
因みに十干とは、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)を指し、十二支を併せて初めて「干支・えと」と呼ぶ。
漢字文化圏、またはその影響を強く受けた地域では、今でもこの十干と十二支が根強く残っている。しかし、対応する動物には若干の違いがあるようだ。牛のいない台湾では水牛になり、モンゴルでは虎が豹に替わる。地域の生態系に合わせて変えざるを得なかったのだろう。故に、想像上の動物である竜(龍)は問題なく各国ともそのまま用いられている。
日本では「鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・」と書き表すが、中国では「鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・」になる。中国では「イノシシ」の代わりに「ブタ」がいると笑う者がいるが、それこそお笑いだ。己の無知を世間に喧伝しているようなものだ。漢字の産みの親である中国では、「ブタ」を「猪」と書き、「イノシシ」は「野猪」と書き表す。
また「猪」偏は「獣偏」ではなく「豕(いのこ)偏」だ。つまり、本家からすると日本では「イノシシ」が「ブタ」に化けていると逆に笑われているかも知れない。
十二支に「動物」の名を当てるようになったのは何時頃からかは定かではないが、中国湖北省の秦代の墓から1975年に出土した竹簡には、既に動物の名が当てられていた。つまり秦代以前から十二支に動物の名が用いられていたことだけは確かめられている。
十二支が日本に伝わった頃、知識人は読み書きのできない者に、鼠の「ね」、牛の「うし」、虎の「とら」…と教えたのであろうことは容易に想像できる。何しろ日本は世界でも稀な「言葉遊び」が好きな民族だからだ。
今年の干支は「羊」だ。角のある動物を指す象形文字(上図の赤い文字)でヒツジを表す。中国では「羊」は目出度い字とされ、「翔・養・美・善・義・洋・鮮」等の多くの文字がこの字から産まれている。どれも悪いイメージが無いのが特徴だ。





Dining on Dogs in Yulin: VICE Reports (Part 1/2)

Dining on Dogs in Yulin: VICE Reports (Part 2/2)
諺の*01「羊頭を懸(かか)げて狗肉を売る」と言う諺がある。*02羊や犬を余り食用にしてこなかった日本人にとっては、やや戸惑いを覚える諺だが、「羊」の文字が出てくる。
これは犬肉は羊肉の旨さには及ばないことから、 見せかけだけで内容が伴わないことを指すのだが、どちらが旨いかは個人差もある。ただ経験上、犬より羊の方が遥かに柔らかく用途も広い。個人の好みから言えば癖の強い犬肉よりは羊肉に軍配が上がる。
因みに、中国で食用にされるのはチャウチャウ犬を代表とする赤犬のみで、黒や白の犬は食用にされることはないと聞いていた。が、実際に取引されている写真を見る限り白い犬が多く含まれている。尤も皮を剥いでしまえば判らなくなるが…”中国 韓国 犬肉市場”で画像検索 (愛犬家は絶対に観ない方が良い!
*01出典:「無門関」第六則
無門曰、黄面瞿曇、傍若無人。壓良爲賤、懸羊頭賣狗肉。將謂、多少奇特。只如當時大衆都笑、正法眼藏、作麼生傳。設使迦葉不笑、正法眼藏又作麼生傳。若道正法眼藏有傳授、黄面老子、誑?閭閻。若道無傳授、爲甚麼獨許迦葉。
*02 :日本最古の本格的料理本として有名な「料理物語・寛永20年・1643年」 にも犬の調理法が載っているので、その当時は当たり前の食材であったことが窺える。また「落穂集・享保12年・1727年」には、「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」としている。徳川綱吉の時代に移り「生類憐みの令」が公布され、犬は「将軍家の護神」とされ、犬のペット化(座敷犬・抱き犬)も進み犬食文化は衰退して行ったようだ。
当ブログ内:犬を食べるのは野蛮なのかを考えてみた http://beijinduck.web.fc2.com/055.html

日本には「羊年の女はかど(門前)にも立たすな」と言う悪口がある。「お七丙午説」がその由来のようだが失礼なこと甚だしい。
「お七丙午説」と言っても、若者にはピンとこないかも知れない。恋しい男の為に江戸の町に火を放った「八百屋お七」の話だと言えば、一度ぐらいは耳にしたことがある筈だ。

主人公の「お七」は、火事で焼け出された際に、近所のお寺に家族で避難し、そこである男と出遭い恋に陥る。
若者同士が何日か一緒に過ごせば、恋が芽生えても不思議なことはない。だが、そんな状況が何時までも続く訳も無く、やがて娘の家は再建され家に戻らねばならくなる。
娘は恋しい男のことが忘れられず、火事さえあればまた恋しい男に再会出来るのでは考え、愚かにも町に火を放ってしまう


江戸の町は徳川治世260年の間に大火事が何と100回も発生している。それ故、幕府は火の始末にはたいそう厳格で、火元になれば厳しい咎めを受け、所払いや重い罰金刑が待ち受けていた。
特に放火には厳しく、大火事に至らないボヤや未遂であっても、有無を云わさず市中を引き回しの上、火炙りになった。
お七は放火の罪で天和3年(1683年)の3月29日に、鈴ヶ森刑場にて「火炙りの刑」に処せられた。
本来なら処刑された者は3日間晒し者にされた後に打ち捨てられるが、お七は異様な早さで供養が施された云う。恐らくは話伝えられているような火災には至らぬ未遂罪であったのだろうと考えられる。
八百屋お七が知られるようになったのは、貞享3年2月の井原西鶴の「好色五人女」巻四の「恋草 からしげ八百屋物語」からである。
俗説には放火の大罪を犯したお七が、丙午の生まれであったことから、「丙午の女は不吉」という話が広まったとされる。昭和41年の丙午の年には出生率が大幅に低下したことが知られている。
また丙も午も火の要素で、その二つが重なることを忌み嫌った故ではないかとの説もあるが、何れも根拠のない噂話だ。
火炙りの刑は罪人が苦痛で大暴れするため、柱に罪人を縛りつけるときに、絞殺してから火を点けたと云われる。鈴ヶ森の刑場跡の火炙台には「八百屋お七を初め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された 真中の穴に鉄柱を立て足元に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである」と史跡保存会が設置したプレートには記されている。

江戸の庶民はお七の娘心を憐れみ、お七地蔵を祀っている
お七が処刑された日は、風が強く炎が横になびき、お七の断末魔の声が何時までも続いたとも云われるが真贋の程は確かではない。
一説には、火炙りは罪人を素早く死に至らしめることも、逆に苦痛を故意に長引かせることも容易であると云われ、火が簡単に燃え広がらないように火力を調整し、チョロチョロ燃やせば呼吸を確保したまま罪人の足をジワリジワリと焼くことができる。罪人は凄まじい苦痛に晒されるが、逆に高く積み上げた薪に一気に火を点けることで、焼け死ぬ前に周囲の酸素が奪われ、酸欠で一瞬で死に至ると云う。
エステ
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